江山別意

山水画勉学への道

はじめに

研究課題と疑問

INETにHPを作り*年がたちました。その間NET上で知り会えた先輩諸氏によって

山水画の世界が広がった感があります。通常では読まない本を読んだり、探したり

研究したり、思考したり、途方にくれたり*****

師と本に巡り会うのは勉学の道において大きな進展と成ります。

最近又は昔から巡り会った本について、感想と私なりの私見を述べます。

疑問は多くあり、解決しない問題も多くあり凡夫の頭を悩ます限りです。

目次


山水画掛軸



南画入門ー山水骨法編

 総論
愚生は初めこの時代に四王と言わ れたうちの一人、王麓台先生を師として選んだ。先生の指導は只遺作と画論に よるよりほかにない。遺作を静かに研究し、じつと睨んでいる間に、神会黙契 によって、古法を伝えられたのである。それからだんだん伝統を遡って元、宋、 五代と研究の歩を進めつつあるのであるが、麓台先生の遺著、雨窓漫筆の一節 を抄録してみると、「開合は高より下に至る。賓主歴然。時あって結聚し、時 あって澹蕩。峰回り路転じ、雲合し、水分る。倶にこれより出づ。起伏は近よ り遠に及び、向背分明、時あって高聳、時あって平修」。支那流の抽象論にあ っては、愚生の如きは全く途方に暮れるばかりである。「先生、何にが開合で すか、何にが起伏は近より遠に及ぶのですか」と、身近かに教えを仰いでさえ なかなか納得し難いのに三百年も前に世を去られた師より教えを請うというこ とは難中の難である。しかし、幸い以心伝心をもって、この法を会得したので ある。また「画を作るには、須らく先づ気勢輪郭を顧ふべし、必ずしも好景を 求めず、又必ずしも旧稿に拘らず、若し開合起伏するところに於て、法を得、 輪郭気勢までに合すれば、脈絡頓挫転折のところに天然の妙景自ら出でて古法 に合する事を悟らむ」とある。この寸言が自分の研究とピツタリ符合した時の 喜びは、まさに、朝に道をきいて、タベに死するとも恨とは思わぬことを知っ た。それ故、以下述べるところは、発見ではあるが発明ではない。すなわち、 南画の正統を祖述するに過ぎない。上記の開合、起伏、或は脈絡頓挫転折のと ころに天然の妙景自ら出づ、ということは、以下述べんとする大分合、或は大 骨法とも言われる山水画構成の根底をなすものである。図解と共に必ず解説を 熟読して翫味されねば、画訣をつかむことは出来難い。  さて、本書の眼目とするところは、骨がきをなす上に一番大切な線であると ころの大分合線によって、山なり渓なり大体の形勢を決定し、さらにその内容 を発展せしめ収拾するに当って、もっとも弾力性ある、もっとも粘着力ある方 法を研究し、一筆一筆と、未知の世界より妙景を引き出して具体化する方法の 研究であって、その製作の途上において真に芸に遊ぶの心境を体得せんとする のである。あらかじめ綿密な下図を作っておいて、それを本がきするという方 法は、北画系の製作順序であって、南画の真面目は発揮出来ない。これを書道 に比較するに、あらかじめ木炭をもって下書きをなし、その上に字をかくのは 看板屋のなすところであって、書道は決してかかるものではない。下書きをな すことは、どうしても形似にとらわれて、作者の気魄を損ずるものである。  いかなる密画でもぶっつけにかく、そこにはしっかりした方法がなければな らぬ。それが骨法であり、画訣たる所以である。  書に楷行草の別ある如く画にもこの別のあるべき筈である。しかるに一般に は草画をもって南画とし、楷体をもって北画となすのは誤りである。同一人で も、時には紋付羽織袴で、きちんと正坐したい時もあり、浴衣がけでゴロリと したい時もある。まして魂の表現たる芸術において、時には楷体、時には草体 の作品が生れ出るのが当然である。  製作途上に遊戯三昧の境地を得ることが芸に遊ぶことで、そこには運筆の上 に一点の不安もなく、大地から生え抜けた一大巨岩の如き態度を必要とする。 この境地に達するには必ず画法上の基礎が胸中に確立しておらねばならね。こ の境地を骨法の研究の上に見出すのが本書の眼目である。

これが大橋廉堂先生の「南画入門」の総論の1部です。
山水画を自由に創れるようになるためには、南画入門という本を勉強するのが
1番だと思います。この本が山水の表現方法、表面の形象を説明した本ではなく
山水の骨格を創り上げる方法について、具体的に導いてくれます。
これがすべてであり、ここに10年20年勉強するテーマがはいっています。
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唐宋山水画史におけるイマジネーション

  1. 琴詩書画巣のHPにある「胸中の丘壑」の構築史の成立より小川裕充先生のこの論文を知りました。
  2. 荊浩のモチーフとは何か
 郭忠恕、宋*、郭煕、朱象先、彼ら4人の画家達は、そのいずれもが根本において、適当 に作られた墨面の微妙な濃淡なり、崩れた土塀の影なり、不規則な土の凹凸なりの、 本来イメージとしてそれ自身固有の意味をもたないものに基ずき、そこから自己の視覚 の働きによって山水のイメージを見出しているのである。

 逆に言えば、方薫の挙げた4人の山水画家に関して最も注目すべきことは、
彼らが、格別意味のないイメージから、山水のイメージを見出したという「連想」自体
にあるのではなく、山水画家としてある意味では当然のことながら、その「連想」を
それぞれのやり方で、完成された山水の作品にまで定着させていったという点にあると
言えよう。

以上小川先生の「唐宋山水画史におけるイマジネーション」の記述の1部分です。
これについて新藤武弘先生の「山水画とは何か」にも関連した記載部分があり
興味あるところです。

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index&LINK

  1. 山水画掛軸2010
  2. 鼎文先生**南画について(山水図)
  3.   
  1. 参考文献
  2. LINK


山水画掛軸


  1. 蘭竹の練習
  2. take3
  3. take4 朱竹
  4. take5KPresenterによる
  5.   
  6. take5スライドショー
  1. 2003-05 山水
  2.   
  3. 2003-05 苦難と楽しみ
  4. 20030808
  5.   
  6. 20030808a
  7.   
  8. 南画入門
  9. *
  10.   
  11.   
  12.   
  13. **
  14. 20040930
  15. ::::::
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