16 そぼQ そぼくな質問 ピアノだけです 2003年6月5日 2003年版へ戻る
そぼQ コラム 転ばぬ先の杖・転んだ後の松葉杖
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≪そぼQ そぼくな質問≫
質問:中1 さん
ピアノの練習は、毎日4時間くらいしています。
先生は、「どうしてそんな弾き方しかできないの?もっと歌って。」といつも怒ります。
手を大事にしているので、運動も家の手伝いもしません。ピアノだけです。
テレビも見ないし、友達とも遊ばないで練習しているのに、どうしてほめてもらえないのでしょうか?

回答者:そぼQさん
あんたなぁ、鍵盤上での練習だけがピアノの練習じゃぁネエんでぇ。
ロボットみて〜に、指だけ動かしとるんじゃね〜んか? それだけじゃったら、ロボットのほうが絶対ウマイで。
中学1年でピアノだけとは、チ〜ト寂しい生き方じゃと思うよ。

このメールでは 男の子か女の子かはワカランが、例えば野球。
野球いうものを知らにゃ〜、上手にはならへん。
試合をするには、最低、打つ事と守る事が要求されるんじゃ。
そのためには、基礎体力も野球理論も必要になってくる。
バットだけを振りまわしとっても、全然上手にはならへんいうのが わかるじゃろぅ。

ピアノも、これと同じでな。
ピアノを(鍵盤を)弾くだけじゃったら、指のテクニックはついても、感情のテクニックはつかんのじゃ。
友達とケンカした時の、辛い気持ち。 運動で汗を流した後の、爽快感。 キャベツの千切りをするときの、トントントンという 心地よいリズム感覚。
(最近じゃあ、便利な器具ができとるから、こんなんは理解でけんかな。危ないからゆうて、庖丁持ったことが無いかも。)
風の音を聞き、雨の臭いを感じる。すべての経験が、曲想(ピアノが歌う)につながる。

最後に1つ。
ほめてもらおうと思ってピアノを弾くな。自分のために弾け〜や。
自分で感動した演奏をすれば、だまっとっても、他人は誉めてくれるで。



≪そぼQコラム≫    [転ばぬ先の杖・転んだ後の松葉杖]

先日テレビを見とったら、“どうにかならぬか”とかいう番組があった。
『危ない交差点に、信号をつけてほしい』という住民側と、『大きな事故が起きていないから、必要ない』という行政側の問題。

似たような話は聞いたことあるで。
何回陳情しても信号機をつけてくれんかったのに、そこで死亡事故が起きたら アッというまに信号機がついた…と。
誰かが人柱(ひとばしら)にならんと、事は運ばんみたいじゃなぁ。
住民側の言い分は、正に 転ばぬ先の杖。 もう一方は、転んだ後の松葉杖。

危ないからと、子供に庖丁を持たせないのは、ただの過保護。
庖丁・刃物の正しい使い方を教える。 これが、転ばぬ先の杖の教育。
誤って自分の指を切り 血を見てその痛みを知れば、むやみに他人を傷つけることは 減るんじゃないんか?
似たようなことでも、順番を間違えれば 大きなミスにつながってしまう。 難しいもんじゃ。

慈善活動は、非常に立派なことだと思う。
かけひき無く 誠心誠意なさっとる方には、心から敬服する。
しかし現在の状況では、転んだ後の松葉杖的なものが多いように感じてしまう。
慈善家さんを必要としない 住みよい世の中での慈善活動こそが、転ばぬ先の杖と言えると思うんじゃが。

失敗談を1つ。 これから伸びようとしている若い芽を 守ってやれんかった話。
さほど危険とは思わんかったもんで、あまり本気で守ってやらんかったんじゃ。
気がついたときは、瀕死の重症。

あわてて手入れをして いくつかツボミは残ったが、これこそ“転んだ後で松葉杖を与える”そのものじゃった。
長い付き合いの黄色のバラには、可愛そうなことをしたと思うとる。 
台風の時には思わぬ突風が吹く…という事を体験した。(5月31日・台風4号来訪時の話)
これからは、少々の風でも、植木は丁寧に避難させようと心に誓うた。