23 そぼQ そぼくな質問 アレンジが上手くなるには、どのように勉強したらいいのか教えて下さい。 2009年8月15日 2009年版へ戻る
そぼQ コラム 戦争体験者の怒り
そぼQ インフォメーション

≪そぼQ そぼくな質問≫
質問者:ミスター変人さん
先日「アレンジの仕方」の講座に参加しました。
同じ曲を使い、1回目は8ビート、2回目はスゥイング、3回目はクラシック風に変えていきました。
2時間の3回講座でしたが、内容は即興演奏の延長のようなものでとても物足らない感じでした。
僕はアレンジする時の曲に対する発想のしかた、参考にしたら良い曲の紹介等を聞きたかったのでした。
曲をアレンジする時、メロディーに対する効果的な伴奏や、カウンターラインの作り方も聞きたかったのです。
アレンジが上手くなるには、どのように勉強したらいいのか教えて下さい。


回答者:そぼQさん
いろんなジャンルの曲をたくさん聞いて、引き出しの中身を増やすことが一番です。
『リズム形態・ベースライン・伴奏形・オブリガート・楽器編成・メロディーのくずし方』をピックアップして聞き、
自分の感性で整理していけば かなり力が付くはずですよ。
コードの基本的な勉強をしたうえで聞けば、気が利いたコード進行やカウンターラインも簡単にわかるはずです。

オムニバス版(複数アーティストの曲を一つにまとめたアルバム)は 比較するのにはもってこいじゃと思いますが、
サウンドの薄っぺらな曲は避けたほうが無難です。
一番わかりやすいのは、メロディーのシンプルな曲です。 童謡なんぞには 結構掘り出し物がありますよ。
ビックリするようなアレンジで、子供だけに聞かせるには もったいないような曲が多いです。

その他、楽譜の分析も勉強になります。
他人のアレンジした曲で気に入った箇所があれば、少々のアイデアをもらうのは構わないと思いますが…。 頑張って下さい。




≪そぼQ コラム≫   【戦争体験者の怒り】

8月6日 広島原爆投下の日、朝早くから 麻生総理も胸に大きな白い花をつけて式典に参列。
新しく被爆者と認定された人の喜びの声、戦争そのものを知らぬ人達の もっともらしい挨拶等々、
毎年変わらぬ 同じことの繰り返しが 飽きもせず各局で映し出される。
それが悪いこととは言わぬが、
終戦後60年以上も経た今日「いいかげんにして欲しい…」と思う戦争体験者の人々も多いということを忘れてはならない。

そぼQの近親者にも、S20.8.6.の朝 たまたま出張で広島に行ったため被爆し 1ヵ月後 亡くなった人がおる。
又 ニュースで原爆投下を知り、親類の見舞いの為に広島市内を歩きまわり、多分の放射能を身に受けた者もおる。
この人は現在80才を超え、満身創痍で病気と戦っておる。
「これらの病気は放射能の為ではないか?」と気に病んでも、原爆との因果関係が立証できんので国は何もしない。
目に見える苦しみを持つ人間同様、隠れた苦しみを持つ人間のことも 覚えておかなければならん。

アメリカの空襲を受けたのは、広島・長崎・沖縄だけではないはずである。
アメリカが日本敗北後利用しようとした場所(水力発電のダム、鉄道のトンネル、京都・奈良・皇居等)と
必要ない場所(農村・山林等)以外の大都市と小都市は ほとんど空襲を受け、大勢の人が死んでいる。

【ある 戦争体験者(ご老人女性)の怒り】
何年か前の7月末頃、岡山のデパートの入口付近で 20才代の若い男女4〜5人が
「広島・長崎の原爆被害者の為に ご寄付をお願いしま〜す。」と首から箱をさげて募金活動をしていた。
数人の人は仕方なく(?)100円〜1,000円程度を箱の中に入れておったが、ご老人は無視して通り過ぎようとした。
と…その中の一人の女性が「原爆の被害者を気の毒とは思わないのですか!!」と背中から大声を投げつけた。

カチ〜ンときたのか ご老人は立ち止まり、
「あなたたちは『原爆々々』とバカの一つ覚えのように叫んでいるけど、本当の戦争の悲惨さをどこまで知ってるの?
アメリカの空襲で亡くなった日本国民は、原爆以外でも数えきれないほどいるのよ。
昭和20年3月10日の東京大空襲の時 私は東京に住んでいたけど、東京下町一帯は焼夷弾を投下され火の海。
焦熱の為 隅田川に飛び込んで亡くなった人達が重なり合っており、無差別爆撃を受けた民間人が多数犠牲になったのよ。

友人もB29爆撃機の機銃掃射で目の前で殺されたけど、低空飛行をしていた米軍兵士の顔は笑っていたわ。
大阪市だって福山市だって、ここの岡山市だって大勢の人が亡くなったのを知ってるの?
支那事変から始まって大東亜戦争が終わるまでの実態を もっと勉強しなさいよ。
『認定された原爆犠牲者だけが気の毒』というのは大きな間違いですよ。」と静かな口調で叱りつけていた。

この主体性のある発言を聞き、一旦お金を出しかけた人達は そのまま彼らをにらむように立ち去ってしまい、
したり顔をしておった若者達は反論も出来ず、呆然と立ちつくすのみであった。
その場に居合わせたそぼQも、心から拍手を送ったのは言うまでも無い。

戦後半世紀以上もたつのに、いまだに過去ばかりを引きずっておっても仕方が無いことじゃ。
戦争は、仕掛けたほうも 参戦したほうも 応戦したほうも 同罪である。
戦争の無い平和な世界を望むのは 人間としては当然ではあるが、
“理性も無く欲得のみで動く低レベルな動物”という人間観を捨てない限りは避けられない…というのも事実であろう。

…最後の言葉として…
1982年4月の閣議決定により、8月15日を『戦歿者を追悼し平和を祈念する日』となった。
これにより あちこちで様々な 形式的な式典が催されておるようじゃが、
8月15日を『戦没者追悼の日』と設定した上で、全国民がいっせいに黙祷し 全戦没者の霊を弔った方が、
よっぽど公平で意義があると思うんじゃがなぁ。