赤壁賦(せきへきのふ)
詩吟の特徴(ここでは,@旋律動向は言葉のイントネーションに従うA旋律のフレーズと言葉のまとまりが一致するー従って拍をもたない音楽となるーをもつ,ものとした)創作曲を和洋のジャンルを問わず作曲家に委嘱し上演する試みの第1作として,1997年9月に初演したもの。詞は蘇軾の「赤壁賦」,作曲は神坂真理子による。
〈作品の特徴〉
1、「赤壁賦」は狭義の「詩」ではありません。漢の時代に盛んだった「賦」という形式を持つ韻文の一種です。日本吟詠で好んで使われる,いわゆる漢詩は,絶句・律詩といった狭義の「詩」,なかでも唐詩が圧倒的に多い中で,「賦」という詩形を取り上げたのは珍しい。
2、日本吟詠は,どの詩を吟ずるにも旋律がだいたい同じ,というのが特徴だが,「赤壁賦」では数種類の音階を採用し,また同じ音階の中でも詩の意味を生かす自由な旋律で作曲されている。
3、蘇軾役の女声吟,客役の男声吟,男声合吟がそれぞれハーモニーを作るように曲作りがされている。
4、オリジナルバージョンの楽器編成は以下の通り。
二胡,13絃箏,17絃箏,尺八,篳篥,打楽器(鈴,卓鈴,ログドラム)
〈あらすじ〉
この詩は1100年ころ,中国北宋の時代に作られました。場所は長江の下流、昔三国時代に赤壁の戦いがあったところ。蘇軾は、中秋の名月の夜、友人を誘って小舟を繰り出しました。
ところがその客人は、なんともいえず物悲しい音色で、洞簫(どうしょう)つまり尺八を吹いてこういうのです。
「三国の時代にこの場所で川岸が紅蓮に焼けるほどの戦いをし、歴史を動かしたあの一世の英雄曹操でさえ、いまは影も形もない。ましてや、私やあなたの人生は、かげろうのようにはかないものです」
それを聞いた蘇軾は次のようにいいます。
「長江の水はいつも流れ去っているけれども尽きることはないし、月はいつも満ち欠けしているけれども消えたわけではありません。変化し続けているように見えるものも、見方を変えれば不変だともいえるのです。何も手元に止めることができず、この世は空しく限りあるものばかりだと思うかもしれませんが、目を転じれば、風の音や月の色、自然が与えてくれる美しさや喜びは無尽蔵です」
悲観的な無常観に囚われている客人。それに対して蘇軾は無常は一面の真理であって、見方を変えれば不変であり、絶対であり、無限であるともいえると、楽観論を披瀝します。蘇軾と客人の哲学問答は夜が白むまで続けられ、やがて客人も蘇軾の考えに共鳴して、おだやかな気持ちになっていきます。
形あるものは必ず滅びるとすれば、自分が生まれてきたことにいったいどれほどの価値があるのか、この世に真理といえるものはあるのかという人類永遠のテーマを40分の音楽に構成しています。
〈初演にあたっての作曲者の言葉ープログラムよりー〉
少壮吟士という私にとって未知の国の人が、渋谷の怪しげな界隈のとある宿で私を待っていた。まだ春浅い三月三日の朝。その人は寒々としたロビーで、独自の詩吟の世界を模索している事、長い間「赤壁賦」をやりたいと思っていたという事を熱っぽく語った。さらに大胆な事には、私が詩吟について全く無知なのを知ってか知らずか、「すべてお任せします」なんて言うのだ!こうまで言われて引き下がっては女流作曲家(!)の名折れだ、エイ受けて立つぞ、なんてわけで、このような次第と相成ったのでございます。洋楽畑に育った私があまり苦にせず書きおえる事ができたのはその人=河田千春さんが全面的に私を信頼してくれた事と自分の中に流れるアジアの血を改めて感じたからかもしれません。最後に今宵の出演者一人一人に感謝!!(神坂真理子 97年9月8日)
〈「赤壁賦」初演にあたってープログラムよりー〉
日本の詩吟は、量的にも(吟詠人口、組織力、経済力)質的にも(芸術性),世界で最も元気な吟唱文化だと私は思っている。その詩吟が更に次を目指していく為のいっぱいの宿題を、この「赤壁賦」は抱えている。
まず、詩材の開発ということ。詩吟の材料として最も多いのはいわゆる漢詩で、その次が和歌。短いものが主流なので、もっと柔軟に詞・賦や長詩をレパートリーに入れたいと思った。「赤壁賦」はざっと百行ある。
しかし長物を上演するためには、吟詠家本人が今までの旋律を踏襲して片手間に「譜付け」していたのではダメで、「本格的な訓練を受けた作曲家に詩吟のメロディー部分も含めて作曲依頼をする」ことが、つぎなる課題だった。幸い、天啓のように真理子さんという作曲家とめぐり合って、詩吟という様式の持つ魅力について、真理子さんの力がどうしても必要です!ということについて、あんなン
したいこんなン したいということについて、しゃべり倒した。
こうして生まれた「赤壁賦」。練習中もうるうるしてしまうくらい美しいこの曲を書いてくれた真理子さん、ありがとう!新しい試みだらけの難曲に果敢に挑戦してくれた楽器と吟詠の共演者の皆さん、本当にありがとうございます。(河田千春 97年9月8日)