長恨歌(ちょうごんか)

 詩吟の特徴(ここでは,@旋律動向は言葉のイントネーションに従うA旋律のフレーズと言葉のまとまりが一致するー従って拍をもたない音楽となるーをもつ,ものとした)創作曲を和洋のジャンルを問わず作曲家に委嘱し上演する試みの第2作として,1998年4月に初演したもの。詞は白居易の「長恨歌」,作曲は川崎絵都夫による。

〈白居易作「長恨歌」について〉
 唐の時代の中頃、中唐と呼ばれる紀元806年、白居易によって、長編叙事詩「長恨歌」が作られました。
 この詩は玄宗皇帝と楊貴妃のラブロマンスの顛末を描いたものです。玄宗と楊貴妃が恋に落ち、それが引き金ともなって、唐王朝を揺るがす大事件となった安史の乱が起き、そしてその乱の最中に楊貴妃が処刑される事件があったのは、「長恨歌」が作られるほんの数十年前のことでした。当時の人々にとっては、まだ生々しい記憶といえます。白居易の「長恨歌」は全120行という長さにもかかわらず、詩句のわかりやすさと、内容の美しさによって、女性や子どもまでが口ずさみ、広く愛唱したということです。

〈あらすじ〉 
 唐王朝の絶対権力者玄宗皇帝は、ある時美しく賢い楊貴妃を見いだして恋に落ちます。
 音楽に造詣の深かった玄宗と歌や舞が得意であった楊貴妃は、誰はばかることなく恋を謳歌しますが、よいことは長くはつづきませんでした。玄宗は政務がおろそかになる一方、楊貴妃の親戚たちは政治に権力を振るいはじめます。
 755年、この状態に不満をもった者たちがクーデターを起こしました。後に「安史の乱」とよばれる内乱の始まりです。
 玄宗は楊貴妃を連れて、蜀の国、今の四川省あたりに亡命しますが、その途中、「この戦乱の原因となった楊貴妃を処刑せよ」と、家来たちから詰め寄られた玄宗は、泣く泣く楊貴妃を殺します。数年後、クーデターは鎮圧されて玄宗は再び長安に帰ってきますが、楊貴妃はなく、皇帝の権力はすでに粛宗に移っており都は戦乱に荒れすさんで、昔日の面影はありません。ここまでは、歴史的な事実に基づいて作詩されています。
 しかし「長恨歌」の魅力は実はこの後にあります。楊貴妃を思って昼夜眠らない玄宗は修験者の導きで、今は仙人の世界にいる楊貴妃と再会します。そこで、2人は仙人の世界と人間界に割かれていても、永遠にかわらない愛を確かめあいます。
「7月7日、七夕の夜、皆が寝静まった長生殿で、私たちは誓い合った。『天にあっては比翼の鳥、地上にあっては連理の枝になろうね』と。」
 詩は、あくまでも甘美に、ロマンチックに歌いあげます。

〈初演にあたっての作曲者の言葉ープログラムよりー〉
 

 「長恨歌」を詩吟の精神を生かした作品として作曲するにあたって次のような事を心がけました。
1、説明やト書きにあたる部分は「朗読」で
2、気持ちや情景描写の中でも豊かな表現が欲しいところは「歌」で
3、特に劇的な、または深い表現が必要なところは「吟」で
4、器楽だけの部分で、情景や心理描写をする
5、女声、男声の特徴を生かす
6、詩を深く読み取り、音楽で充分に表現できるよう極力努力する
7、それらを満たして、なおかつ面白い曲にする ──等々。         
 そして 120行からなる詩を約40分の曲として完成させました。各部分は詩の内容に従って細かく構成され、吟の部分も詩の中身に沿った旋律をつけた事により、古典的な詩吟とはだいぶ趣の違うものとなりました。あえて新しく創作するからには冒険も必要──との考え方によるものです。        
新しい事に果敢に挑戦する河田千春先生の熱意を受けて、長恨歌という大作に挑みました。皆さんにどのように聴いて頂けるか──。名演奏家の方々による熱演を期待しています。            (川崎絵都夫 98年4月2日)

長恨歌」初演にあたってープログラムよりー〉
 川崎さんの「長恨歌」は、見て聞いて楽しくハデで、四十分という長さを感じさせない程、誠に口あたりよく作られている。 ──という見かけに騙されてこの作品を甘く見ていたら赤っ恥をかくところだった。
 こう見えて「長恨歌」の吟部分は大変正統的、しばしば古い形が復権してさえいる。例えば吟に入ると楽器の音は極端に少なくなるかまたはなくなる。これは、吟の魅力である自由さを生かすためには、吟と楽器の比重が一対一で、楽器が吟をひきだし吟が楽器に問いかけ、まるで対話するように進行していくのが理想だと考えたからだと思う。コンピューター打ち込みのカラオケ伴奏や邦楽アンサンブルの、たくさんの音にカバーされる(埋もれる)ことに慣れた今どきの吟詠家にとっては、真っ向から楽器と切り結ばねばならないのは相当コワい。でも吟としては、本来あるべき当たり前のスタイルに帰ったのだともいえる。
 創作物をやること、その中で、どこまでが詩吟といえるのだろう?と考えることは、「目新しさ」をつけ加えることではなくて、むしろ、挟雑物をどんどんとりはらった時の、詩吟本来の魅力とは何かを考えることであり、始源に遡及する果てしない道のような気がする。        (河田千春 98年4月2日)


TOPスケジュールHOME|