我が ふる里
私が通った粟井小学校 校門
我が古里は、自分が生まれ育った愛媛県です。(1937年~1956)※昭和12年~昭和31年年
第二の「ふるさと」は岡山県です。(1956年~2025年現在)※昭和31年10月~平成・令和~令和7年6月3日現在
◇ 愛媛県
☆粟井村の変遷→粟井村→北条町→北条市→松山市(2005・1・1~2025現在)
・ 1897年4月1日 - 風早郡が温泉郡に編入され温泉郡粟井村となる。
・ 1955年3月31日 - 温泉郡北条町、浅海村、立岩村、河野村と合併して温泉郡北条町となり、自治体としては消滅
・ 1958年11月1日 - 北条町が市制施行して北条市となる。
・ 2005年1月1日 - 北条市が中島町とともに松山市へ編入される。
平成8年5月26日 宇佐八幡神社
昭和23年度 粟井小学校卒業生 還暦祝
◇ 粟井小学校の同級生はお元気な友・・・・・
平成19年5/18~5/19岡山湯の郷温泉で同級会
後楽園
岡山城
岡山城散策
湯郷温泉で一泊、楽しかった同級会でした。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 旅館で懇親会・・・ 懇親会後・・・部屋の布団を準備していましたが、 布団を後ろへ丸めて・・・ 二次懇親会・・・小学校の同級生は楽しい・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 一泊して、帰り道にRSKバラ園・・・ 同級生のバスは高速道路で愛媛県へ帰路・・・ 私はここで、同級生をお見送り・・・ ◇平成22年7月5日 道後温泉にて同級会 ![]() ![]() ![]() 記念写真の待ち時間・・・ |
私の両親
私の両親(両親は長寿でした。)
3世代夫婦家族は少なく、
瀬戸大橋 開通式などに参加・・・
私の兄(遺影)&兄嫁さん
# 編集のお遊び
我が家の両親等が眠る墓地
先祖の・・・菩提寺です。
子どもの頃は このお寺へ・・・
高縄山頂を望・・・・・
こんな山深く、高い所に城があるわけがない。
山険しく、集落もなく、戦略的価値も見出せない。が、古い文献にはしばしば高縄山城に触れる
ものが多い。
一般には高縄山系に連なる、風早全域の河野氏の支配する城々の総称と捉えられている。
特に高縄山から真西へ流れる河野川を挟むように配された高穴城・雄甲城・雌甲城・神途城の
4城を指す。
治承4年(1180)源頼朝の挙兵に応じ、河野(四郎)伊予権介通清が当城へ籠もる。
養和元年(1181)平家方奴加(額)入道西寂(高信)が兵三千を率いて攻め寄せ、通清は討死。
通清の子四郎通信は安芸渡り、兵を集め、反撃の機会をうかがう。
元暦元年(1184)四国の反乱軍を沈めた西寂は勝利に酔い、遊女をはべらせ舟遊びの最中、
漁師に扮した通信の臣、出雲房(坊)宗賢(桑原城始祖)に肴を届けにきたと偽らせ、油断した
ところを一気に攻め寄せ、西寂を捉え、高縄山にて八つ裂きにし、父の無念を晴らす。
元暦2年(1185)壇ノ浦合戦においても水軍衆を率いて源氏に味方した通信は、伊予国に
おける盟主的な地位を築き上げる。
文治5年(1189)奥州藤原氏討伐に参戦。
承久3年(1221)承久の乱では後鳥羽上皇方につき、翌年には居城を攻められ降伏。
奥州へと流され、当地で没す。時宗開祖である一遍上人は孫にあたる。
河野家は唯一幕府方についた通信の子、通久が受け継ぐこととなる。
貞治3年(1364)河野通堯当主のとき、足利尊氏の将、天竺禅門を討ち取る。
しかし、次々と伊予国の将が足利に下り、さらに讃岐より細川頼之の軍が攻め入ったため、
敵わず逃走。壊良親王に随行する。
応安元年(1368)山方・吉岡・大野・森山伊賀守(森山城主)らが当城に籠もり、足利氏に抵抗。
幕府は仁木兵部大輔義尹を総大将として攻め入り、反乱を鎮圧する。
◇ 古里の年間行事
☆ 正月の雑煮は父親がします。 雑煮のお餅はあんこ入りです。
我が家の神棚を詣でするのも父親です。愛媛も岡山もあまり変わりません。雑煮のお餅のあん入りが違うくらいです。
※ 子どものお遊びは、凧揚げ・かるた・パッチン・ラムネ玉遊び・五寸釘遊び・竹馬遊び・中学生位になれば軟式野球等々。
☆ 雛まつりは1カ月遅れの4月3日です。
りんまん 醤油餅
各家庭で「りんまん」・「醤油餅」等々を作ってもらい、子どもグループは景色のよい場所でご馳走をいただきます。
青年は青年のグループでお酒を頂きながら楽しんでいました。
☆ 七夕まつりも1カ月遅れの8月7日
硯の水は、サトイモの葉っぱにたまっている水を取り、硯の水にします。短冊へ天の川・七夕様・・・
☆ 子どもの相撲&青年の相撲が盛んな地区でした。
☆ 秋祭り・・・同じ愛媛県でも様々なお祭りがあります。
※ 自分らの地区は、青年団が10月12日の「お祭り」に備え準備・
子どもは神輿をピカピカ光るように磨き粉をつけて光らせました。
柏島の神輿はメッキですが、古里の神輿は白銅張りのような感じでした。
10月12日の宮出しの神輿は実にきれいな神輿でした。
宮出しが終われば、各地区へ帰ります。
我が地区の神輿参加者は青年団・男子こども・・・
神輿は青年団が担ぎ地区の各家庭へ・・・
各家庭で宮司が祝詞を・・・子どもは神輿を下ろす時に受け台をおきます。
各地区(班)で接待当番がいます。
・ 朝の接待当番宅まで行けば、青年団はお酒接待・子どもはお食事・おやつの接待。
・ 昼食も朝食とおなじような接待です。
・ 夕食も接待々です。
※ お祭りは青年団も子どもも楽しい一日でした。(今でも思い出します。)
END