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岡山県良寛会会長の谷野研治氏のお話を拝聴して

岡山県良寛会会長の谷野研治氏のお話を拝聴して

 谷野さんは、良寛さんが越後(新潟県出雲崎)のひ弱ながら良家の出身で、そのころこの地へ巡錫に来た備中国玉島の円通寺第10世庵主の国仙和尚に心酔し、その青壮年期の十数年を玉島の円通寺で修行し、その後全国を行脚(この間所在不明の6年間に中国渡航説あり)し、出雲崎へ帰った良寛さんは詩歌・書にも精通し、独自の境地を開いたこと
 良寛さんの足跡のある全国45ヶ所に良寛さんの遺徳をしのぶ良寛会があり、第2回全国大会が昨年開催されたこと
 また中国は長江沿いの鎮江市に平成9年良寛詩碑亭が建立され、また峨眉山市には良寛小学校が設立されていることなどを前置きとして軽妙洒脱なお話しぶりで紹介されました。
 続いて、今回参加された米ワシントン州オリンピア禅センター創立10周年記念式典及びその建立の経緯などについてお話いただきました。このセンターは、禅に魅せられて、日本で本格的な仏門修行の後、1999年得度した映道(俗名フランセス カーニー)さんが建立されたものだそうです。
 良寛さんに因んでその名も良湖庵(RYOKO-AN)と称し、しずかな湖畔にあり、室内の一角に良寛さんの小さな立像が安置されて、禅堂に相応しい雰囲気を醸しだしていました。
 回覧された写真帳の集合写真の中に、写真で見ても際立って良い顔(美女美人という意味でなく、強いて言えば澄んで癒される感じ)の方がいたので、谷野さんに確認したところ、正にその方が映道さんとのこと。(禅で善が顔に出ているのかと一瞬タジロギ感)
 それにしても良寛さんという方は、時空を超えて存在感のある人なんだなという印象を受けました。
 円通寺の南斜面は、少年の頃の私にとっては、戦争ゴッコの戦場であり、野いちご、椋の実、榎の実、畑のイチジク、ブドウ、柿、桃などの食糧庫であり、時には瀬戸内海を眺めて海の彼方を夢想する展望台でもありました。
 そのため円通寺は、子供の頃から身近な存在で、昔そこに良寛さんというお坊さんがいたということは誰からともなく聞き知ってはいましたが、良寛さんについての認識は、里の子供たちと日がな毬遊びに興じていたお坊さんという程度の貧弱なものでした。
 谷野さんのお話をおうかがいして、良寛さんについての認識を新たにしました。
 また、宗教は、人間の死・不存在、未知の死後への恐怖に付け込んだ支配の方便、金儲けの手段であり、人類初の知的(詐欺的)職業・ビジネスではないかと疑うような不信心、宗教無関心派の私も心が洗われたような想いを抱いて帰路につきました。
       (聞き違い勘違い思い違い−御免蒙ります。 井頭記)

 


 

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