そのむかしこのあたりは
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![]() 11ページより抜粋 |
文献名:倉敷・玉島平野誕生 倉敷市と周辺の地名の由来
著 者:渡辺千夫 発行年:平成6年5月 所 蔵:倉敷市立玉島図書館 |
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11ページより抜粋:玉島村誕生
「万治二年(一六五九)には玉島新田干拓が完成。寛文五年(一六六五)松山藩は玉島新田を検地し、(玉島、爪崎、堤下、上成、水溜、港町)を併せて玉島新田村を設立。後に玉島村と称するようになった。」 |
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11ページより抜粋(一部西暦追加、藩主名は水谷勝隆と思われる):勇崎新田村誕生
「正保三年(一六四六)松山藩主水谷勝高隆は、高梁川の河口、柏島と大島(黒崎、大谷)の間の海面を干拓し、五十町の新田を開いた。次いで寛文六年(一六六六)柏島の南部六十町を干拓。同地は勇崎外新開と呼ばれた。延宝三年(一六七五)両地を検地して勇崎新田村と総称した。」 |
図4勇崎地区拡大干拓図
国土地理院の「地理院地図」を表示→左上に表示される「地図を選択」ボタンをクリック→「土地の成り立ち・土地利用」→「地形分類(ベクトルタイル提供実験)」→「地形分類(人工地形)」を表示したものです。
地図上をクリックするとその地点の成り立ちや自然災害リスクが表示されます。(2020年8月30日追加)
国土地理院の「地理院地図」→「標高・土地の凹凸」→「デジタル標高地図」→「中国」→「岡山県_2019年6月」を表示。
ツールから「3D」を選択、標高を2倍に強調したものです。(2020年8月30日追加)
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