第4号
2005.08.27発行
©ザ・玉島!!
 

 夏休みもおわりまして、第四号を発行です!暑いですが、、今日は灼熱の隕石の話です!!!


富田隕石

 
 隕石・・・宇宙空間から地球の重力に引っ張られて大気圏に天体が突っ込む現象です。
 その天体の大半は、大気圏突入時の大気との摩擦で燃焼しきってしまいますが、大きさや大気の状態により、燃焼しきれずにそのまま地上に落下してくるものがあります。それが隕石となるわけです。
 その一つが玉島に落下したことがあります。大正5年4月13日。
 ときは午後一時ごろ、北西の彼方より、ゴロゴロという遠雷の鳴る様な音を響かせながら富田村(現在の八島亀山)の地に「ドテッ!」という鈍い異様な物音をたてて落ちて来ました。それが、現在の富田隕石。
 発見者の小谷氏は、後にこのように語っています。(発見者は長尾の小谷氏、地主の中西氏の共有ということになっている
 「シューシュー」と大きな音がし、「ドテッ」と音がした。近くの者が、一升瓶くらいのものが、落ちたらしいというので皆で一生懸命捜したが、判らない。二度目に捜してみると、除虫菊の葉が散っていたので、近寄りよくみると、除虫菊の株の根元に穴があいているので手を入れてみると、一尺くらいの深さのところに、かたい、熱いものが手に触れたので取り出してみた。泥がついていたので、下の池で洗うと、ジュージューと水を吸った。
 毎日隕石の見物人が来るのを知った田舎芝居の巡業者が、これを見逃すはずはなく、「入場者には星を見せる」と芝居見物客の呼び込み手段の材料にし、発見者は隕石を持って、四国九州と芝居巡業者について廻ったという。しかし好奇心も次第に薄れ、呼び込み効果も挙がらなくなったので、発見者は相談の上、富田村道口上郷ウシヤバラ(現在の池畝)の方の口添えで玉島新樋の赤沢という人に五十円で売却したとのことであった。
 
 そのその後、隕石の所在を調べるために、玉島新樋の赤沢氏を捜しましたが、大正11年頃、九州で亡くなっていたことがわかり、隕石の行方は全く不明でした。
 その後、偶然にも中西氏を玉島通町で発見し、話をしたところ、弟宅の「えびす様」を祀っている下においてあるとのことで、偶然にも38年ぶりに発見者の下に戻ってくることになりました。
 大きさは10cm×5cm位。栗色の石質隕石でした。45億年を経ているものと推測されています。
 この隕石は、世界の隕石を載せた本に『THE,TOMITA,JAPAN,CHONDRITE』と題して紹介されています。
 

【現在は、岡山市在住の方が所持していると思われます。】
 
富田隕石成分表落下地点に建てられている碑富田隕石現物写真落下地点の図


 どうでしたか?富田隕石。富田隕石についてここまで調べたことは今までなかったんですけど・・・調べて見てビックリ!とても貴重な隕石なんですね。日本は国土が狭いため、確認されている隕石は50個ほどしかないそうです!その内の一つなんですよ☆貴重な隕石、大事にしていきたいですね。
 ★隕石落下地点の碑は、現在でもあることは確認しました。しかし、雑草で覆われていて、行く事は少し難しいです。(すぐ横の道から確認することは出来ます)私有地のはずですので、入らないようにしたほうがいいかもしれませんw)

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