第6号
2005.09.16発行
©ザ・玉島!!
 

 さて、やっと秋らしくなってきましたね☆゛阪神もそろそろ優勝するしwノリに乗りますよ!wでは第6号のスタートです!!


徳富蘆花と玉島(養父が鼻)

 秋といえば、読書の秋でしょうか?
大正の文豪、徳富蘆花。この作家は横井小楠門下の俊英であった父徳富一敬の次男として熊本県水俣に生まれ、兄は、思想家・ジャーナリストの徳富蘇峰(猪一郎)で、熊本バンドの1人として同志社英学校に学びキリスト教の影響を受け、トルストイに傾倒した。兄の下での下積みの後、自然詩人として出発し、後に『不如帰(ほととぎす)』などの作品を残し、近年では探偵小説の作家としても注目されている方である。
 果たして、このような人が、どうしてこのたまたまに登場するのでしょうか??
 
 現在は、沖合い遠く埋め立てられ、水島工業地帯が広がる、乙島沖合い。
 ここは今から数十年まで「養父が鼻」といわれる白砂青松の海濱として全国に知られていた。現在の戸島神社階段下が当時の海岸線である。瀬戸内海岸でも有数の景勝地であった。
 また遠浅であったため、潮干狩り、海水浴、魚釣りなどの場所として四季を通じて賑わい海中に点在する飛び石、はね石、ごろごろ石などと呼ばれた布石の妙は人々の目を楽しませた。

 この景勝地は、聖武帝の命、遣新羅使の人々が読んだ頃のままであったのであろう。ぬばたまの・・・の歌(たまたま第2号参照)が詠まれたのは、天平八年(736)のことであるから、それから1000年以上たった、大正7年の夏のことである。この地養父が鼻に、大正の文豪徳富蘆花(1868-1927)が訪れた。蘆花は数十日滞在し、この地の風景と細やかな人情を愛したといわれる。
    人の子の貝掘りあらす砂原を平になして波の寄せ来る
 この一首は、当時の景観をえがいた名歌で、一読、今も波の寄せ来る様子が目前にうかんでくる。養父が鼻で海水につかりながら詠んだのであろうか・・・。
 この歌は、地元の人によって、碑が作られた。後に又玉島を訪れた蘆花は、この碑を見て痛く感動したそうである。
 当初この碑は乙島の岩肌に彫られていたが、風化がすすんだため、切り取り、戸島神社に移された。今も尚蘆花の歌碑は、松生い茂る昔の風景を偲ばせるような位置に置かれている。
 しかし、この蘆花の愛した風景が今現在全く垣間見ることが出来ないことは非常に残念である。

 
徳富蘆花 歌碑養父が鼻在りし日の姿


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