第12号
2006.06.04発行
©ザ・玉島!!
 

 


(富の)御崎様のご神体

 現在は山村深く、矢掛と玉島を結ぶ幹線道路が貫く富は、今や面影もないが、昔々は漁村であったことは確かである。富という地名も、漁村として富んでいたことに由来するという。この社の縁起書によると、とどろきの湊と呼ばれていた。(轟が現在のどこの場所を指すかは不明)
 この富村落の中に、御崎神社が祀られていることを知る人は住民以外に知る人は少なかろう。
 この神社の主神は、玉依姫命(神武天皇御母)御神徳といい、海の神であり交通安全 財宝を掌る商売 繁栄の守護神であるといい、ここからも富村落のかつての繁栄を垣間見れるといえよう。
 この社の縁起由来は実に面白いので紹介しようと思う。
 この富の港に、沖元屋与太郎という漁師がいた。ある日、乙島の御崎の沖というところで(現在地不詳)、漁をしていた。魚が数知れず網にかかるので、時のたつのを忘れて夢中で漁をしていたところ、いつの間にか潮が引いており、帰ることが出来なくなった。
 船は身動きをとることができなくなり、与太郎は潮が満ちてくるのを待ってから帰ることに決めた。することも無く、ぼんやりと海面を眺めていると、泥土の中に何やら光るものが見えた。
 あやしく思った与太郎は、船から下りて、拾って、潮溜まりで洗ってみると、なんと金色に輝くご神体であった。
 ご神体はまばゆく光目も開けていられないほどで、与太郎は「あっ!」と叫びながら両手を合わして拝んだという。
 その後、塩は満ち、与太郎は富の港へ帰っていった。ところが先に港に帰って沖を眺めていた漁師達は、夕日にぐらぎら輝いて、何千艘もの船が港に入ってくるように見えたために驚き、慌てふためいていた。しかし、近づいてくる船をよくよく見ると、与太郎の船しかそこには浮かんでいなかった。
 何かあったのか?と口々に問いたざす仲間に、沖合いであったことを話し聞かせ、船底に大切にしまってあったご神体を出して皆に示した。
 与太郎の示したご神体は、神々しい光を放ち、皆はその場にひれ伏したと言い伝えられる。
 その後、数ヶ月自宅の神棚に祀っていたが、このご神体のために訪れるものが多く、お供え物も絶えず送られたので、氏神様にお祭りして、御崎様と名づけた。この御崎の由来は与太郎がご神体を拾い上げた地点の名前からであろうか。
 お祭りの日には、村人達が観音が端といわれる突き出した大岩の上に出て沖のほうに向かって
 「潮が引いたか、満ちたか」と大声を張り上げ叫ぶ祭礼行事が行われていたというが、現在行われてるかはわからない。
 前に述べた轟の湊というのは、与太郎の船が帰ってきたとき人々が騒ぎ驚いていた地というところからついたといわれる。
 現在も山村深くで玉島の平野を見下ろしつつも、船乗りの神、海難よけの神として地元住民により厚く信仰をあつめている社である。  


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