第16号
2006.09.18発行
©ザ・玉島!!
 


島地の蜘蛛(くも)糸


 日本には、昔から狐、幽霊、ばけもの、と様々な伝承があるが、他にも、火の玉といわれる超現象が信じられてきた。いまや火の玉は、土葬後、遺体からリンがでたものと科学的に推測されたりしているが、一昔前まで現実のこととされていたのである。
 ここ玉島にも、『島地のくも糸』と称する火の玉の伝承がある。
 玉島が干拓され、平野が延々と広がる中、島地という地区には、小さな丘が連なっている。ここを七島といい、島が七つ連なっていることからこの名がついたことはうなづける。
 雨雲が低くたれた夜、島地の糸崎というところに稲荷様が鎮座しているが、この森の上に、パッと赤い光が現れる。これは火の玉のようで中に浮いていたと言い伝えられている。ここまでは日本国内に伝わる一般的な「火の玉」現象であるが、この島地の蜘蛛糸はリンなどといったものでは証明できない現象である。
 糸崎の上に現れた火の玉は、その場にとどまらず、生き物であるかのように、西へと移動し、最も西にある山の端までくると今度は向きをかえ、東へと飛んでいったという。しばらく往復を繰り返し、飛び回った末に消えていった。
 島地の北方にある富田地区(主に北川・亀山)からは、この現象がよく見え、火の玉が出た翌日には、『昨夜、島地の蜘蛛が出たぞ!!』と早朝から村中で噂されるほどであった。村民はこの現象を蜘蛛の仕業であると信じ、この呼び名がついたという。
 
 この現象がいつ頃より見られていたかは不明であるが、明治24年(1891)に、島地付近に山陽鉄道が建設されるとこの現象は起きなくなったという。
 もちろん、この鉄道開通の年に生まれた人の年齢を逆算しても、115歳となりこの地区にこれほどの古老はいないと思われるから、実際に見た人にお会いすることはできそうもないが、故宗澤節雄先生(郷土史家)の著書、『郷土風土記』によると、宗澤先生は子供の頃よりこの伝承を聞かされていたという。それどころか、実際にこの蜘蛛糸を見た人とも出会っている。
 その方は、撃剣の稽古の負傷により、池田温泉(当時、北川の故小谷武夫氏宅にあった。外傷に効き目があるといわれていた)に湯治入院していたという。この折に、島地の蜘蛛糸を目撃したそうである。

 他の伝承とは違い、体験談もあるこの現象は、一体どのような理由で発生したのであろうか。九州有明には、『不知火』といって、海上に漁船がないのに無数の光が現れるという現象があるが、科学的に証明されているといういうし、島地には有明とは違い海とは離れている。この現象を解明したくとも、現れなくなって100年以上もたち、尚且つ現代化したこの風土において現象を分析することは、難しいようである。   


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