第20号
2007.01.31発行
©ザ・玉島!!
 


玉島の古代遺跡(1)

〜道口八幡神社周辺の古代遺跡〜

 八幡神社の鎮座する山は、江戸時代干拓以前は海に突き出た半島で、平安時代には道口ノ津として船の停泊場であった。
 古代にまでさかのぼると、このあたりは湿地帯が広がっていたと推測されている。
 中世においてこの辺りには、当時の海岸線にそって遺跡が存在していることがわかる。

            
 ■ 惣堂様古墳

 別名を、大国様古墳といい、道口内札場にある惣堂宮周辺が惣堂様古墳である。
 現在は、小さな社が建てられ石廓で囲まれた小山であるが、古墳時代(3世紀半ば〜6世紀末)の古墳である。当時は、海に突き出た半島であったのであろう。

 大正11年ごろ、社殿改築の際に、地面を1メートルほど掘り下げたところに、刀剣・玉類・須恵器等を発掘したが、新築本殿の下に埋め戻したといわれる。
 本殿西側に岩石群があり、古墳の名残であろう。丘陵の上に横穴式石室を築いた円墳であったろうと推測されている。
 ちなみに、備中誌には、惣堂様:廃祠としるされている。
 


 

 ■ 道口古墳

 道口八幡神社の西側は、現在道口公園となっており、広い敷地にグラウンドと遊園地が設けられている。
 これも、惣堂様古墳同様古墳時代のもので、公園の北側に数個の岩石が点在している。これが古墳の名残であると推測できる。
 この古墳に関する出土品等は公表されていない。  

 ■ 八幡宮南貝塚

 八幡神社参道を下り、浅口市金光町に抜ける道を西に向かい、少しカーブになった周辺が、八幡宮南貝塚である。道路、家屋が密集し貝塚の名残はない。
 鎌倉・室町時代の貝塚であるとされる。

 ■ 八幡宮西貝塚

 八幡宮南貝塚附近のT字路を北に曲がり、最初の曲がり角を西に曲がって数10メートル進んだあたりが、八幡宮西貝塚である。
 南貝塚同様、鎌倉・室町時代の貝塚であるとされ、附近は現在、畑と家屋になっている。畑に貝塚の名残は見受けられなかった。

 ■ 八幡宮北貝塚

 八幡宮南貝塚附近のT字路を北に曲がり、二つ目の路地附近が、八幡宮北貝塚である。
 家屋が密集し、貝塚の名残はない。
 鎌倉・室町時代の貝塚である。

 ■ 岸本貝塚

 道口川が丘陵部から平地部に流れ出すあたりの西岸の山際であり、標高3〜4メートルの集落が存在している。
 2〜3世紀の中世貝塚が存在し、また縄文土器も出土していることから永年にわたって集落があったことが伺える。
 遺跡は現在周囲を宅地に囲まれた畑になっており、畑からではハイガイ・カキなどを出土する。

 ■ 惣堂様貝塚

 道口札場内にある貝塚で、惣堂様古墳の南側に位置する。
 鎌倉、室町時代の貝塚で、現在は家屋が密集し確認できない。

 
 ■ 道口遺跡

 道口八幡神社の裏に位置し、山沿いの道路と、その下側の畑部分が、道口遺跡である。
 山陽自動車道の建設にあたり発掘調査されている。
 発掘調査では、上層に再堆積した砂層の中から縄文時代の土器・石器・黒曜石の原石・弥生式土器・土師器・須恵器をなどを出土した。また、壷・甕・台付鉢型土器・敲石も埋土中から出土している。
 また、古墳時代の建造物(竪穴式住居)の遺構も見つかり、古代において海岸線であり浜であったであろうこの地で、人々が生活を営んでいたことがうかがえる。

  


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