中国南宗画史ノート8 古原宏伸著 中央公論社 文人画粋編5付録に戻る
芸術論集 中国文明選14 福永光司著 朝日新聞社刊
画語録 芸術論集 福永光司著
p10解説
「中国において書芸術と絵画芸術(水墨画)は、要するに筆墨の造形する芸術であるが、
筆墨の描く点と線、濃淡の色調は、自由な流れとうねり、情感的な潤いと滲みをもつことによって、
人間の心の動き、生命の感動を表現する手段としては、最もすぐれた生動性をもつ。」
皴法は山水画における山峯や岩石などのヒダの画き方をいう
P470
「一画紙に落つれば、衆画これに随う。
一理わずかに具われば、衆理これに付す。
一画の来去を審らかにし、衆理の範囲をさとれば、山川の形勢は定まるを得、
古今の皴法ことならず。」
P471
訳
「画家が墨を用い筆をとって画をかくときには、どのような形の峯を画き、
どのような皴の画き方をするかという成見を必要とするわけではない。
画家が無心に1本の描線を描けば、多くの描線はおのずからその後に続き、
1つの絵画的理法がそなわるや否や、多くの理法は、おのずからそこに具わって
くるのである。画家が1本の描線の自由な動きを明らかにし、*****
山川の姿は筆の動きと共におのづから定まってき、古今の画家のさまざまな
皴法は、その本質と役割とを同じくするのである。」
*********************************
一画紙に落つれば衆画これに随う
一理わずかに具われば衆理これに付す
これが石濤の画語録の精髄であろうと思います。ことに魅力的な言葉です。
皴法の体用の説明により皴はよく峯の形勢を資けることが出来る。
しかしながら峯や皴について知見を持つ必要はなく紙上に筆で一画を引くと
自然に他の画が次々にこれに随い、わずか一理でも現れると忽ち衆理がこれに
随って展開されるのである。山の形勢は一画の法にあり一画の法を悟る無心の
境は用墨において発揮され*****
石濤の一画の法の哲理は、峯と皴の体用の運用により導かれた。
一本の描線を描くとき、書家または画家は無心の線であれ有意の線であれ、
自由に動く筆と心を連携させ、一本の線の流れの中にも強弱遅速かすれ滲みの
表情が現れ、それにつれ画家の心にもその形象より連動する感情が成起され、
腕がかってに次の線を律動的に入れる。この一本の線のプロパティ、属性は
計り知れない。画人の過去の生活の(もうよう体験)がありそれに引きずられ
衆画がこれに随う。
何とはなしに落書きをするとき、ペンは心の働きに引っ張られとりとめもない
自動書記を繰り返し先生の声を聞きながら、電話しながらまた心の安定
を得るためにとりとめもなくペンをめぐらす。
心の働きと一致する筆線はそれ自体生き物のように増殖展開し、石濤のいう
山水が出来上がるのである。
石濤の画語録の世界と、今まで学んだ南画入門、董其昌の皴法を用いる境地
は密接にまた完全に一致する部分があり、一画より進めるか、三四大分合より
進めるか、一本の描線は限りなく内面に表情を持っており、画人、書人の修練
の結果の表れであろうと思います。ここに書と画の関連一致の部分があり
中国毛筆文化の基本でありましょう。(福永先生のいはれた)
一本の描線は我々が通常行う数本の描線と何ら変わりなく、石濤自身も
P480「その三者を気脈で貫いて内在的な統一を与えるべきである」と言っている
********一画の妙用とは、筆線で表される表情豊かな線質は、その画家の
心のタッチを表出させたものでありこのタッチで絵画の統一を図ると
自然に画面が調和する。画面に対してどのような大きさと方向角度を持った最初の一画を
入れるか、これがすべての始まりでありこの線に対して、同一の律動する属性をもった
線がこれに接して入るか、距離をおいて配置されるか画家のセンスと腕の勝手な
振舞いによる。3、4本の骨格となる線が入るか、一画より画家の心の力にコントロール
された線が展開される*************
中村茂夫 画語録
P179 皴法
「これらの皴は皆必ず峯の体によって異なり、峯の面から生まれるのである。
峯と皴とは合致し、皴は峯から生まれる。峯は皴の体と用とを変ずることは出来ぬ
けれども、皴はよく峯の形勢を資けることが出来る。
しかし皴とても峯の体を得なければ変化のしようがない。****
峯の体が変化するか否かは、皴がそれをよく現わすか否かによる。
*************
しかしながら筆墨を操って運かす時には、またどうしてその峯や皴に関する
知見を予め持つ必要があろう。紙上に筆で1画を引くと自然に他の画が次々にこれに
随い、わずかに一理でも具わると忽ち衆理がこれに随って展開されるのである。」
芸術論集 中国文明選14
p468
「必ず峯の体異なるに因りて、峯の面生ず。峯は皴と合し、皴は峯より生ず。
峯は皴の体用を変ずる能わず、皴却って能く峯の形勢に資る。其の峯を得ざれば、
何を以ってか変ぜん。其の皴を得ざれば、何を以ってか現わさん。峯の変ずる
と変ぜざるとは、皴の現わすと現わさざるとに在り。」
「峯はあくまで峯自体として存在して、皴の形と機能を変えてゆくことはできず、
画家の画く皴の方から峯の姿を取り込んでゆくのである。」
********************謎に満ちた言葉********
芸術論集 中国文明選14
P5解説
「道の造化のはたらきによってこの世に形あるものとして生存し、やがてまたその造化
のはたらきの中に帰ってゆく人間は、同じく造化のはたらきによって形あるものとして
存在する万物と根源的には同根一体である。人間は自然に背を向けることもできるが
、本来的には自然の一物であり、鳥獣草木、山川土石の自然物と存在の本質を斉しくする。」
P6
「形を持つすべての存在が己と同じく道の大いなる変化の流れの中にあることを認識する
彼らは、己の存在がまたやがては万物と同じく道の無形の中に帰っていく有限の存在であることを諦観する。」
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