中国南宗画史ノート8 古原宏伸著 中央公論社 文人画粋編5付録に戻る
中国画論の展開
中村茂夫著 中山文華堂
雲林
p729、730
墨池クム涓滴 寓我無辺春
筆墨を惜しみ無辺の春を寓することが真の画である
P731
この「無辺の春」の思想はサンの絵画観の根本をなすものであって、事物の形体
の描写ではなく、事物に纒緬する主観的情趣といったものを表現することであり
、簡単にいえば物に寄せて懐を述べることである。
p732
閧ゥに逸筆を拈じて清思を図す
即ち物に寄せた画者の胸中の感慨、意趣である
胸中の逸気を写すのみ
p736
作画の動機として抑えることの出来ぬ鬱勃たる表現衝動といったものが胸中に湧出し
これが溢れて画になる
p737
表出を欲する芸術衝動の魔力は画者の心を内奥から突き動かして己まぬのであって、
その内面の衝動が外に発現するためのきっかけとして軾もサンも 酒酣の力を借り
、それによってこの衝動を抑える他の強力な心性からこれを開放するのである。
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雲林の画のキーワードは蕭散、蕭條の趣、無辺の春であり、ありふれた水辺の平遠山水
ではあるが、内面に無辺の春がある、ということですがこのことを理解、又は
感じとることが出来るには、雲林の境地にまで達しなければ不可能である。
しずかに逸筆をねんじて清思を図す
道教と禅宗に心を寄せ其の求道者となった。
塵俗から隔離し孤絶隠棲の道を歩ませた。
作画の動機として、抑えることの出来ぬ鬱勃たる表現衝動といったものが胸中に湧出し、
その思いを逸筆に托した。
釣りを意ふも魚にあらず。 釣りが目的ではなく他の者には見えないものを
釣っているのだ。
物に寄せた画者の胸中の感慨、意趣を筆をつまんでものさびしくひねりながら
山水を画く。画いた対象は山水であるが思いは無辺の春、、、、、
この春とは何か、、、凡夫にはわからないところです。
四季山水の春夏秋冬の春ではなく、外景でなく内景の春とのこと。
無辺の春を寓する
ひろびろとして限りがない、
やどる、やどす、仮に身を寄せる、かこつけてほのめかす
涓滴 しずく、わずかなこと、小さいことのたとえ
クム くむ、すくう 手やひしゃくで囲んでそのわくの中に水をいれてすくう
おさえる 枠内に物を入れる
蕭條 細々としてものさびしいさま
蕭 ものさびしいさま 茎が細長く葉の小さい草の名
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北宋期の士大夫思想
p508
つねに自己表現を欲する芸術的衝動*********蘇東坡
文與可は精錬せる良紙を見れば直ちに憤筆して揮麗し、自ら巳むことができず、座客は争うて
其の画を持ち去り、與可は少しもそれを惜しむことがなかったが、******
ところが私の場合は「最初から表現衝動を抑止するのではなく」将にその発するを
伺い、その端緒を掩うて取り、**************
むしろそれが生ずる瞬間にこれを「掩い取り」、これを芸術的表現に転化するというのである。
p509
画に客観的対象を写すという態度は全くみられぬ。紙絹上の墨跡はただ胸中に盤欝する意想が仮に
古木竹石の形を借りて吐出されたものにすぎぬ。換言すれば胸中の意想がこれを仮りて己れを表現した
までであって、他人がこれを自然の古木竹石に似ていると見るかどうかは問題にならぬ。
p511
芸術は画者自身の心の満足のために制作される
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