董巨に従って筆墨の源頭を発出すに戻る
文人画粋編5 董其昌と明末清初の山水画 呉訥孫著 中央公論社
P134
”董其昌の画中の故事は、、、、故事、情趣、事実などを口実として、縦横に筆墨を走らせている。
、、、、興至ってすなわちこの図をつくる”
P136
”、、、、その画は宋元諸家の長を集め行らすに己が意を以ってし瀟灑生動
人力の及ぶところにあらざるなり
、、、みんな変革に論及するものがない。時代もまた移り変り、争乱も治まって太平に帰してしまった。かっての変革はまるで夢のようになり、危険な文字は忘れ去るにしかずとされたのであろう。”
P138
”董其昌は画を学んだ初め、雇正誼や莫是龍に追随して元人の法によっていた。、、、、
張浦山は理解しえなかったその***は時代が再び変革してしまった見解を代表させるに足る。
「惜しむらくは中幅の起処と妥からならざるを。余これを臨しこれがために改正し、遂に全備を成し、頗る自から意を得たり。妄りに知らざる者には看せず。のち全孝、、のために乞い去られる。」”
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P136
図23画稿冊その12 ボストン美術館
図版が小さく判別しにくいが岩の輪郭と手前の木の線が一体となり分かり得ない処が制作過程の真っ最中である。また上の山の脈絡線(用語が違うかも)そこに植わっている木の線が判別つかぬまま遠方へ融合している。
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我々には本物の良品の写真の印刷物しか目にすることが出来ないが、
画冊、画稿冊 未完成品 本物か偽物か分からない画きくさしに痕跡があるかもしれない。
木の線が山の稜線、岩の輪郭をぶち切っているのはよくある事で、後から木を追加して
構図の変更をしたもの。それとは別に作画過程そのものが、線を適当にまたは無茶に
配布すると、線が余ったり空中に取り残されたり、訳の解からない岩組が在ったり、、、、
この無茶な線から本当に山水を作り上げるのなら、ここにこそ古原先生の指摘した董其昌の変筆の謎を解く鍵が秘められているに違いない。
これは董其昌に限らず王蒙、王維、郭煕、王原祁、黄子久、、石トウも含めて
多くあることでしょう。
この状況を説明する語彙は、現代美術に於いては山ほどあります。
ただ昔の古臭い山水画が上手く衣を被ってしまっているうえ、画の伝達過程において
臨摸が行われ、それを職業にするものや時代精神が変わってしまい、新たな発展の原動力となる市民(大衆)の理解がまったく消えてしまった。
辞書
【瀟灑】
ショウシャ こざっぱりして清らかである。『瀟洒ショウシャ』