董巨に従って筆墨の源頭を発出すに戻る

その方法

董其昌の書画***古原宏伸編******二玄社
P35 <ケーヒル>
”古人の画は一辺より生去す、今はその意なし、故に、、、の効果なし
ただよく分しよく合ししこうして皴法以ってこれを発するに足る
これは手を時事に了らしむるなり”

董其昌の書画  董其昌の新正統派および南宗派理論 何恵鑑 中川憲一訳
P62
”それはあらゆる形を自動的に調整する秩序であった。それ故、過去の巨匠達の法を学ぶことは、正確に表現された対象の、自ら有する法を学ぶことを意味した。そのように学ぶことで、芸術家の感受性は、対象との遇によって活動的になる。”
P63
”独創性は方法に精通することによって生ずる。、、一たびその方法が画家によって修得・消化されると、画家自身の変化に従って自由にその方法から出入りすることが出来、、、、”
P65
内的な知覚とか感受性に対してひとたび頓悟によって法則をつかいこなす主人となりえたならば、模倣と創造の間の障害はなくなる”
”「絵画に逃避の場を得ることであり、絵画に喜びを得ることである」
その喜びの大部分は、繰返すが、創造の過程からくるのであって、完成された
作品からくるものではなかった。”
P69 
”、、、、一画についての石トウの理論の先駆となっている。つまり筆によって
描かれた一画一画が内的なリズムとか動きを微妙だが活発に支配するという意味でそれらは生動の原理の具体化である”
”このように生動は気を通して知覚されうるようになる。気が筆の運びに従ってひきおこされるように、神は気の動きに従ってひきおこされる。
この作用を生み支持する誘導的な力は、潜在的かつ具体的な形をもった勢である。”

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その方法の内容が明らかではないが、「芸術家の感受性は、対象との遇によって活動的になる」これを言い替えると**人間の視覚は偶然出合った形象(線の分布)に対して、
自己の空間認識に一致するような世界を本能的に感じ取る。
又は予期せずに対象に出あうと、、、、、

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董其昌と正統派の絵画理論  方聞著 藤原有仁訳  二玄社 董其昌の書画内
P83 
”古人で画を論じるものがいて、筆が紙におかれるやたちまち凹凸の形が
あらわれる これは最も説明が難しい、、、古人の画は決して一つの方向に向かって始まっていない。今はこの教訓を失っているだから、、、の巧みがないのである”
P84  
”董其昌の立体の量塊および重畳と交錯した各種の葉型は光学上の溶合と曲解の精微な効果に満ちており遂に伝統的な垂直方向の配列順序を打破した
景物は画の各部分において躍動し近中遠の各景物は解体された、、、、、
一つにつみあげられ互いに連続した量塊を形成し止まることのない気勢はこの相互に連続した形式の中で流転している”
p85
”この新しい「気運生動」の原則は、董其昌の活力にとんだ山水の最も好い
反映であり、その転筆、折筆および構成のもつ運動の間には、すでに気勢と気運が陰含されている。”
P86
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古人画を論じて云えるあり

筆を下せば便ち凹凸あり、これ最も県解なり
最も留意すべきことで、逆さづりの困難から開放される方法、説明の難しい問題とは、
このことが董其昌の変筆の謎を解く重要な言葉であると思います。
王維の図をもって、程正揆にこれこれここの処が、荊関董巨の源委なのだと説明し日々教え込んだ程正揆が多くの外景によらない自己創造の山水画を残した。
自由気侭なタッチで董其昌の「倣」の実践に繋がるものであると、西上先生は説明される。
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その中で何恵鑑先生は「その方法」について、、、、、の方法と説明され
、、、、
董其昌の山水構築法は自ら云う、臨機応変の処置を学び野戦の師であるといい
皴法を用いる境地を強調する。
画禅室に言うこれらの文言は、通り一遍の常識的な画論でもなく画法についての
理想的な気韻生動の謳い文句でもなく、事実自分の得た画法についての抽象的又は
具体的な方法を暗示させるものであった。

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