山水画作成の方法

胸中の丘壑としての山水画を描く方法について、最近勉強した書物
により考察してみる。
我々の学んでいる南画入門による方法は、すでに知っているので
それ以外の方法を探してみると「唐宋山水画史におけるイマジネーション」 と言う論文があり

1、形ある物を形あるように描く**形似
2、形なき物より形ある物を連想により引き出す

先生によれば
「一歩一歩着実に筆を重ねて、人なら人、樹なら樹を描いていく通常の画法を 、伝統的な言い方に従って形似と呼ぶと、連想は形似とはまったく異なる プロセスを辿るものであることがわかる。連想が既にあるイメージとイメージ との間の連想作用であり、イマジネーション*想像*の最も素朴な形であるとするなら ば、形似は、あるイメージに似せて新たなイメージを再現的に構築していく、 イミテーション*模倣*の領域に属するものであるからである。」
と言われている様に1、は写生模写の方法であり我々の興味あるのは
2、の連想作用による方法である。

山水のイメージを得る方法

荊浩のモチーフ

荊浩は「筆法記」において、
図画の要の部分に
「気は心筆に随いて運り、象を取ること惑わず」
「筆は法則に依るといえども運転変通し、質ならず形ならず飛ぶが如く動くが如し。」
「神とは為す所あることなく、運るに任せて象を成す。」
(東洋画論集成による)

「小川裕充先生の唐宋山水画史におけるイマジネーション」より荊浩のモチーフについて
の記載部分を紹介すると

荊浩自身、「筆法記」で、
「気は、心筆の運るに随い、象を取りて惑わず。
韻は、形を隠して跡を立て、儀を備えて俗ならず。」
と述べている。また、自作の山水画が
出来上がっていく過程を歌った荊浩の五言律詩に、

「意をほしいままにして縦横に掃けば
峰巒次第に成る。
筆尖りては寒樹痩せ
墨淡くしては野雲軽し」

とある。これらが、もはや単に制作時の放埒を気取る文人的態度の表白
などでないことは疑いを入れない。*****
荊浩は、峰巒なり寒樹なり野雲なりのモチーフを描き出す段階で
「連想」を用いていたのである。****
何故なら、彼は、ほしいままに縦横に筆を掃くにしても、
一気に山容を描き出すことはせず、その筆の運びのままに、
ある所は凹、ある所は凸と、次第にイメージが「連想」に従って
一定の方向に収拾し、自然にそれが山容となって浮かびあがってくるのを 待つからである。****
大体の山容ができあがったところで、筆が勢いよく尖ってしまった所は
「寒樹」とし、墨を淡く止めた所は「野雲」とするというように、
「造化の如き」連想を楽々と分岐させ、無限定な変化を押しとどめることができるのである。
******
ただ言うまでもなく、その連関は、画中に保存される類のものではない。
それは今まで連想を呼び起こす過程であったものが、ある段階で形似を
完成する過程に転化していく制作過程の中に消えていくものである

以上荊浩のモチーフについての記載部分の1部ですが
この部分が荊浩の山水画作成の要であり文人画への発展を導くもの
となったであろうと想像します。 荊浩の筆法記については、琴詩書画巣のHPを参照してください。
この方法を是非観てみたいと願いますが現代ではかなわないこととあきらめるしかありません。
荊浩の作画方法と李、郭、、董源、黄公望、董其昌へと伝わったものは何か。
文人画の精神が伝わったのか、。。任意のモチーフから「形似」へと導く過程に
創造的エネルギーを発揮して完結の喜びを自己にて味わう。。
この方法を常に探すという事が山水画勉学の道であると思います。

李成の石


(下)P26
"李成こそ「連想」を画絹上の墨面から出発させることをやめてしまう「画石如雲」 の法の創始者だったのである。"

"雲を描くという「形似」を着実に筆墨を重ねて完成してゆきさえすれば、 自ら石が雲のようにみえる「連想」を画面空間に定着することができるのである。
連想の完成にむけて形似を着実に押し進めるという完全な手順の逆転を行ったのである。"

郭煕の山


不定形の雲

雲を山の如く描く
不定形の雲気より拡散、収縮、成長するものは雲、山、谷、峰、、、
夏空の乱雲の群峰のなかに、楼閣、家、滝、樹、石を補筆し山水を創ることは 困難ではない。我々の学んでいる山水骨法はどこから来たのか? 適当又は不適当な線を淡墨で縦横に掃き、これを雲を作るように又は 山を作るようにイメージを連想させ山塊を連ならせると山水になる。 筆の運るに任せ作家自身の胸中の山水を表現すればよい。
雲の形を取る淡墨の線と雲中の雲の重なりを表現する皺、脈絡は 山水のシュンサツに変化し得る。
雲を描くことと山水の岩山を描くことは同一の表現方法となれば 南画入門の方法と同じ起源があるのではないか。
李郭の雲石に荊浩のモチーフを加算させると黄公望の山水構築に発展する と予想される。
初め雲を写して雲を描き、ある一点で雲から山に変へ景物を入れ山水を創る。 次の段階では雲を見ずとも、適当なる雲の線を五,六本入れ、 雲を勝手に作ることは易しい。雲が勝手に作られるなら山も自在に作れるではないか。
雲を看て作る段階から心の中の雲を作る段階へ進化したとたん、これは 胸中の丘壑となる。入れる線を李成の淡墨ではなく、 荊浩の筋骨の入った運るに任せた線を増殖させると、これは 新たな山水画の芽ばえが期待出来る。
       

黄公望

P31 写山水画訣に
"雲采を見れば即ち是れ山頭の景物。李成、郭煕皆この法を用う。
李成と郭煕を繋ぐ最も重大な契機を雲を山に見る連想のイマジネーション に置いて古人の云える「天開図画」なるものこれなり。"

董其昌

画訣
"李成は墨を惜しむこと金の如く、王洽は墨瀋を発して画をなす
夫画を学ぶもの毎に墨を惜しみ墨を発するの四字を念はば、六法、三品 において、思い半ばに過ぎん
毎朝起きて雲気の変幻を看るに、はなはだ画中の山に近し。"

”参考”董其昌の書画
董其昌の書画2
魔法の国
素朴な疑問
筆墨の源頭を発出す
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