山水骨法の源流を尋ねて広大な領土、魔法の国への旅
山水画作成法について その*
我々の関心事は、如何にして山水画を作り上げるか、という発想から定着に至るまでの心
の動きと方法であります。これらについて下記に挙げる本によって相互に関連一致する
部分を記したいと思います。
1、南画入門
2、董其昌の書画 二玄社 董其昌の画 ケーヒル先生の説明引用部分
董其昌と正統派の絵画理論 方聞著 藤原有仁訳
3、画禅室隋筆 日貿出版 福本雅一 他訳
4、文人画粋編5 中央公論社 董其昌と明末清初の山水画 Nelson I.Wu
5、文人画粋編 7巻 中央公論社 王原祁 雨窓漫筆 中田勇次郎訳
6、ガントナー 心のイメージ 玉川大学出版部 中村二柄訳
7、文人画論集 中田勇次郎 中央公論社
8、画論 古原宏伸著 明徳出版
これらの本は昔から読んでいたものや最近に読んだものです。読むにつれ
気になったところに付箋をはり、栞を入れ暇な時、読み返すものですが
能力がなく読めないところや、大体の感覚で読んだつもりになっているところや
読みたくても物理的に、また能力がなく読めない本も他にあります。
南画入門によって学んできた山水画の源流を尋ね、また発想のヒントとして
参考になる方法があるかもしれない、との思いで時々は本を読んでいます。
ガントナー先生は創作活動の闇の部分を「プレフィグラツィオーネン」
という概念で説明される。創作活動をするに当たって、構想から完成に至るまでの
間の、一般の者には見えない隠された部分「レオナルドが美術的ヴィジョンの偉大なる
源泉」と名づけたその夢幻への領域。両極の間の広大な国土といわれる部分。
未知なる世界への大胆な把握と白熱の時の呼吸を感じる領域、まさに作品自身の道程を歩み出す瞬間、
ここに至る複合体と胸中の逸気が作品を創り上げる。
我々の立場で考えると、偶然の触発形式を自ら作るという問題になると思う。
山水画を如何にして作るかという問題を中国の先人達は研究してきたと思います。
中でも小川先生の云う中唐の溌墨画家からの流れを持ち、不定形のイメージより
山水画を作り出すということをはるか昔からやってきております。
思うにこの連想作用による作画は人間の持っている基本能力であり、この方法
こそ十分研究する必要がある。董其昌が言う「ただよく分しよく合し、
しこうして皴法以ってこれを発するに足る」の記述は解釈が間違っているかもしれませんが、
山水画構築の重大な転機となったものであろうと思われます。
当時、それに気づいていた者がいたかどうか分かりませんが。
/*墨を発するのではなく線(皴)を発するのだということ*/を始めたのが
彼であったかと思います。
「王こうは墨汁をとばして画をつくる」
「しかしながら皴法を用いる境地は、ともに語ることはできない」
三四大分合よりの(大分合自体も含めて)皴を発するということは、
ガントナーのいう「プレフィグラツィオーネン」を発することと同じではないか。
/*自ら不定形の触発形式を発している*/
これより作るのは我々は山水である。他の目的の者は又、それぞれの感じ方が
あると思う。
この広大な国土、未知の領域は作家個人にしか入り込めない部分です。
この中での作業そのものがその芸術家にとって一番重要な部分であって
創造過程の本質です。完成未完成にかかわらず、一番大切な価値をもっているのです。
この魔法の国を耕すのは貴方自身です。
上記参考文献の別ページ紹介部分は董其昌と王原祁の著述の部分と先生方の
解説部分ですが、何度も同じ部分を記載していますが、微妙に表現の異なるところがあります。
”潘子のような者らは、私の画を学んで、私にくらべればよりいっそう巧みである。
しかしながら皴法を用いる境地は、ともに語ることはできない。”
この皴法を用いる境地こそ探し求めていた魔法の国に違いない。
琴詩書画巣HPの”胸中の丘壑 中国山水画の構築性について”
「いかにして筆が単純な連想からはじめ画中の山水の骨格を作りあげるか」
「心と手の相応ずる関係で重ねられた線と線との位置関係を論理的に読みとり
かつ修正しながら進める一種知的な作業が大切になろう」
我々はこの線を山水画構築のための触発形式として捉え、自ら発することが出来るように
勉強しているのです。
”中国山水画の胸中の丘壑を構築しようとする偉大な歴史は、
清初においてその創造を止めるのである”
どうか山水画の創造の歴史が終わることのない様
このことに気づいて学んでくれる方を待ち望んでいます。
index.htm
kumo.htm
董其昌1
董其昌2
素朴な疑問
線に内在する力
董巨に従って筆墨の源頭を発出す
南画サロン桃源郷
NIF*HP