山水画とは何か

新藤武弘著 福武書店
この本の裏表紙に陳舜臣先生が書かれている紹介文によると
「山水画は風景画ではない。本書にも紹介されているが、げい雲林は
竹を描くのを、自分の胸中の逸気(創造精神)を写し出すと表現している。
胸中の俗塵を去れば、そこに自然に丘や谷川が営まれ、それを描くのだと言った
のは董其昌である。*****」

p9に新藤先生はハーバード大学の恩師マックス、ラー先生が言われた
「描かれた対象に意味があるのではなく、画風に意味がある」という言葉を
いつも思い出します。そして絵画作品を観るたびに、「ならば、それはどういう
意味なのか」と自問してきました。****


また「江岸別意」にジェームス、ケーヒル先生は
「ラー教授は、様式には意味があるということを著者に教えてくれた。
あらゆる事はそこから始まるのである。」とp16の序に書かれています。

山水画には、描かれた山水の情景だけでなく、何か表現する目的があるのか?
山水の景は何を意味するのか?****山水画には表面だけではない
別の意味があるのだ。とmomoに教えてくれたのは「江山四季」とこの書です。
あらゆる事はここから始まるのです。ある1つの考え、思想に導かれ勉強し、探索し、
また試行錯誤し、迷い、壁に打ちあたりして勉学していくものだと思います。

p38,39に「水墨画」で紹介した荊浩の”縦横に掃けば”の詩が説明
されています。P118,119に「影壁」「張素敗壁」の説明があります。
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”「早春図」にみる、春の雲気が画面に不思議な明暗効果をかもしだす表現方法を、 郭煕がいかに習得したかを伝えるつぎの逸話は ***********
唐の呉道子と同世代の彫塑家楊恵之は壁面に山水のレリーフ、塑壁を作る のが得意で、宋代になおその作品が多く残っていた。
郭煕はそれからヒントを得て、左官にコテではなく手で泥をこねて壁に わざと凸凹をつくらせ、乾いてから墨で山や谷を表し、さらに楼閣や人物を 描き加えると天然さながらのものとなる方法を考案し、これを「影壁」と 名づけたところ当時大勢のものがこれをまねたという。
壁にできる影の抽象図形と水墨との出合いによって、忽然と現れる 山水の幻影こそ、郭煕のインスピレーションの源泉であったかもしれない。” ************
「張素敗壁」
”宋てきは洛陽の出身で進士にのぼり、李成画風を倣った士人画家として 知られる。宋てきが、崩れた壁に素絹を張って、凸凹によって生ずる影を 利用して山水を描く張素敗壁の技法を、ある宮廷画家に教えた話を、、、、 、、略、、、
したがって宋てきから画法の手ほどき受けた画家は郭煕か その周辺の宮廷画家でなければならない。、、、、、
すなわち、郭煕の山水画における煙雲と光の表現は、自然から受けた 感興に根ざすものではなく、むしろ同時代の士大夫から得た抽象概念を、 一種の職人的な離れ業によって表現したものといえよう。”
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この部分が「唐宋山水画史におけるイマジネーション」の郭煕の雲の説明のところと 関連する。