董其昌の画 様式の創造から集大成まで ジェームス・ケーヒル著
        山岡泰造/古原宏伸訳 二玄社
   付箋を貼った部分
p28
以後董其昌は外部から採り入れようとする関心が薄くなり、自ら意識して限定した 範囲内で、素材を自律的、個性的に扱い変形を加えることにより画を展開させようとした。
p29
運動量、「勢」の連続性をかりてフォルムを長くつないでいく構成は、董其昌と趙左によって主張され*******またこれとは逆の効果、絶えず変化する不連続性についても 追求していた
p30
「古人画を論じていえるあり、筆を下せばすなはち凸凹の形ありと。これ最も懸解なり。 吾これを以って歴代より高く出ずる処を知る。*******丘がくに遊ぶに足らん。」(画旨)
董其昌本人も驚いただろうが、描くにつれて、その形と特性とが現れてきたに相違いない。
p31
「よく王維をつくって後に、王洽の溌墨をつくり、よく李成をつくってのちに二米の 雲山をつくれば、すなわち画師の口を閉ざし、賞者の耳目に供するに足らん。」(画旨)
p33
最も独創的な動きのやまぬ構図の特徴や、中遠景における山の塊量のどうみても 無理な空間のつなぎ方ですら、遠く郭煕やその一派からの霊感を与えられているのでは なかろうか。
P34下
「山の輪郭先ず定まり、しかる後これに皴す。
古人は大軸を運らすに只三四の大分合あり、章を成す所以なり(三つ四つの大きな分割と統一で見事に描き上げる)その中細砕の処甚だ多しといえども、要は勢いを取るを主となす。」(画旨)
「およそ画山水は、すべからく分合を明らかにすべし。
分筆はすなはち大綱宗なり(分割描法は構図法の大もとである)
一幅の分あり、一段の分あり、ここに了然たらば(悟入すれば)すなはち画道は半ばを 過ぎん。」(画禅室随筆)
p35
「古人の画は一辺より生去す、今はすなわちこの意なし、故に八面玲瓏の巧なし。
ただよく分しよく合し、しこうして皴法以ってこれを発するに足る。
これ手を時事に了らしむるなり(現代の欠点から逃れることが出来る)。
その次はすべからく虚実を明らかにすべきなり。」(画旨)
  
筆墨の織りなす抽象的形態によって心をゆさぶり、興奮させるのである。
p39
p40
p42
p43
p48
「彼は西湖の煙雨の景に米フツの墨戯を見、奇妙な雲頭に郭煕の山を眺めていた
(訳注ー洞庭湖に至る船次、斜陽蓬底、一望空濶、長天の雲物、怪怪奇奇にして
一幅の米家の墨戯なり。湘江上の奇雲、大いに郭河陽の雪山に似る。
古人いう、郭煕の画ける石は雲のごとしとは、虚ならざるなり。−画禅室隋筆)
画家はフォルムを創造するとき、自然と同じような創造過程か、繰返しかを
実質的に行っているのである。
p56
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董其昌と正統派の絵画理論  方聞著 藤原有仁訳  二玄社 董其昌の書画内

p84
「ただ画家が構図を能く分かち能く合し、皴法を用いて自分の意図を十分に
発揮するのは、しあげの時のことである。その次には必ず虚実を明らかにすべきである。
*******すべて山水を画くには、必ず分合を明らかにすべきであり******
ここをはっきり了解すれば、画道の達成は半ばをすぎていよう」
p85
この新しい「気運生動」の原則は、董其昌の活力にとんだ山水の最も好い 反映であり、その転筆、折筆および構成のもつ運動の間には、すでに気勢と気運が陰含されている。
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我々は董其昌のいる場所から出発することが出来ない。南画入門から王原祁、董其昌の 著述へと逆にたどるしかない。我々の学んでいる山水骨法が(これは廉堂先生が王原祁の 画論と作品により感得したもの)が董其昌、荊浩、李成、郭煕、等から出たものであるとの予感をもっているのですが、具体的に董其昌の著述の中にそれを見出すことを 願うものです。
ケーヒル先生や方聞先生の引用された董其昌の著述のいくつかに、心に引っかかる箇所があります。日貿出版の画禅室隋筆や東洋画論集成を見るに、微妙に表現の違うところがあり、我々の立場で感覚的に理解しにくい部分があります。
方聞先生がp83−85で画禅室隋筆の引用した部分に鍵があり、これしかないはずのものでしょう。これを解読せねばなりません。限られた資料しかありませんが。
”皴法を用いて自分の意図を十分に発揮するのは”しあげの時ではなく
混沌とした”斜、正、渾、砕、隠、現、断、続”と表現される線のゆらぎの中の
魔法の国、を旅する画人の孤独な作業の閃きの一瞬にあるのです。
同じく”その転筆、折筆および構成のもつ運動の間には****”と説くところですが
これを内面から捉えるには、何がそうさせるのか、衝動は何か、ということを考えると
ガントナーの魔法の国しかないではないか。
要するに、表象形式を溌するしかない、又は倣によって他人のモチーフを荊浩の
モチーフとして使う。これが南画入門まで流れてきた。

董其昌の書画
荊浩のモチーフ
魔法の国
素朴な疑問
線に内在する力
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