文人画粋編5 中央公論社 徐渭の花卉と董其昌の山水
Nelson I.Wu著 古原宏伸訳
p138 六、開合起伏と動蕩平衡
董其昌は画を学んだ初め、顧正誼や莫是龍に追随して元人の法によっていた。この時期の作品で伝存するものがあるはずだが、いまだに発見されない。名をなして以後、師友を超越してからは、元人の「三四大分合」からさらに進歩した。起伏変転の妙と「取勢」の完成は讃嘆に値する。安岐が「邱壑位置、みな意表に出づ」と言っているのは徒らな誉め言葉ではない。
董其昌の構図のうち、水平線が往々ことさらに水平でないものがあるが、それによって一層動きの勢いを増しているのである。この点では八大山人と王原祁が得るところがもっとも多く、またよく運用している。
七、「小塊もて積みて大塊と成さば、焉んぞ妙境に臻らざる者あらんや」
右は王原祁の「雨窓漫筆」中の語である。私はここまで書きすすんで、感慨に耐えない。
もはや時は明らかに新時代に入っており、********
王原祁の所論は、莫是龍の説と参照すべきものがあり、王氏の文(雨窓漫筆)を掲げて論を終えることにする。
「画中の龍脈、開合起伏は、古法に備わると雖も、未だ標出を経ず。石谷(王き)闡明にし、後学矜式するところを知る。
然るに愚おもえらく体用二字に参らざる者は、終に入手の処なしと。
龍脈は画中気勢の源頭となす。斜あり正あり、渾あり砕あり、断つあり続くあり、隠るるあり現わるるあり、
これを体と謂うなり。開合高きより下に至り、賓主歴然たり。時に結聚するあり、
時に澹蕩たるあり。峰は廻り路は転じ、雲は合し水は分るるは、倶にこれより出づ。
起伏は近きより遠きに及び、向背は分明にして、時に高く聳るゆるあり、
時に平らかに修きあり、欹側照応し、山頭、山腹、山足、銖両ことごとく称う者、
これを用と謂うなり。
もし龍脈あるを知りて、而して開合起伏を弁ぜざれば、必ず拘牽して勢いを失うに至らん。
開合起伏あるを知りて、而して龍脈に本づかざれは、これを子を顧りみて母を失うと謂う。
故に龍脈を強じゅうすれば、則ち病を生ず。開合僵塞して浅露すれぱ、則ち病を生ず。
起伏呆重にして漏欠すれば、則ち病を生ず。
かつ通幅も開合あり、分股の中にもまた起伏あり。尤妙は過接暎帯の間にあり。
その餘りあるを制し、その足らざるを補い、龍の斜、正、渾、砕、隠、現、断、続をして、
その中に活溌々地ならしめば、方に真画となさん。
もしよく参透して、則ち小塊もて積みて大塊と成さば、焉んぞ妙境に臻らざる者あらんや」
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