百島福田港

尾道港と常石港をフェリーと旅客船で結ぶ航路を、尾道港からフェリー44分の船旅で
初めての百島(ももしま)福田港へ到着しました。
(次便の旅客船での所要時間は、途中の二つの港に寄港しないので24分になっています。)
福田港からは、対岸で本土側の福山市沼隈町の常石港へは10分で渡れる程の距離です。
百島の面積は3.08平方km 、周囲11.9km、人口は現在700人ぐらいということです。
毎年1月11日に行われる恒例の「お弓神事」の百島八幡神社は福田港から歩いて
10分ほどの小高い場所にあります。
神社の周辺はみかん畑が広がり静かな農村の佇まいです。最近はイチゴ栽培が注目を浴びています。



的射の神事は各地の神社でその由来がありますが、当神社の説明板から引用すると「お弓神事の起源として、
560年前の嘉吉元年(1441年)の戦乱で敗れた赤松満祐の一族七人が、
百島に逃れて住みつき、敵の追討襲撃に備えて弓の稽古に専念したのが始まりと、一応言い伝えられているが
、各地の神事と同じであり、むしろ水軍との関係も窺われる。」とあります。
戦乱とは室町時代の嘉吉元年、播磨国、備全国、美作国の守護職で幕府の重臣でもあった赤松満祐が、
六代将軍の足利義教を暗殺して幕府方追討軍に攻められ敗死した事件でこれが「嘉吉の乱」と呼ばれている事や、
水軍とは百島村上水軍の存在も知ることが出来ました。
争乱に明け暮れる下剋上の歴史を経て、今では新年の開運や無病息災などを祈願する神事として、
島民が継承しており、敬神の心が伝わってきます。
右上は毎年この日に師範代を務めて指導されている方が、本番の前に基本動作を示されているところです。



的はtyっ系60cmぐらいで中心に鬼の顔を描いた板状のものが取り付けられています。
的までの距離は15mほどです。
党内の地区から15名の方が射手を務めます。




太鼓の合図で順番に的を狙って矢が放たれます。往時は一人100本を射的したそうですが、
今は30本ほどとなっています。
短時間の指導でも皆さん上手になり、命中したのが数十本あり、見物人は拍手で応えました。
的に当たれば右の写真の竹の先に「壱万両」と書かれた祝儀袋を挟んだものが渡されます。
中には硬貨が入っています。私なりに考えますと競技ではなく神事ですから
、これは温かみのある配慮だと感じました。
素朴な祭りでしたが、質実剛健、島民の人情にも触れた温かい祭りに癒されました。