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エーゲ海を思わせる風景と古い日本の街並み とが調和したエキゾチックな町「うしまど」。 牛窓の秋祭りは、昔の歴史を想起させます。 瀬戸内市牛窓町の「牛窓秋祭り」は 牛窓地区の総氏神・牛窓神社の秋季例祭です。 神輿1台は氏子地区を巡行し、 船形だんじり5台、太鼓台2台が終日 町内を練り歩きます。 特に船形だんじりは彫刻の粋を 凝らしたもので、港が殷賑を極めた頃 主に江戸時代,港の繁栄振りが偲ばれます。 牛窓神社の末社、御霊社の「太刀踊」、 同疫神社の「唐子踊」を見学して この地に伝わる神宮皇后伝説や 朝鮮通信使の寄港地であったことから 歴史に彩られた牛窓を知ることが 出来ます。 |
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| 牛窓神社を10時に出発した神輿は、町内氏子地区21ヶ所 に設けられた御旅所を巡行します。 正午ごろ、神輿は岡山藩の岡山城下と牛窓を結んだルート 牛窓往来で栄えた面影を残す関町に来ました。 |
神輿を迎えて、関町のだんじりは少年達のシャギリを奉納しました。 その後、町内を練り歩きます。 |
瀬戸内市牛窓町には牛窓神社の氏子地区に5台, 鹿忍神社氏子には3台の船形だんじり計8台がありますが 鹿忍神社のは、このお祭りには登場しません。 いずれも県の重要有形民俗文化財に指定されています。 長さは6m。二層の屋形をのせて舳先に龍、麒麟など、全体にも 様々な彫刻を施した豪華なだんじりです。 写真の関町のだんじりは、龍頭、総欅作り、 江戸時代の弘化2年(1845)の作で 彫刻技術の粋を凝らした牛窓だんじりの中でも とりわけ華やかなものとされています。 |
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左上は中浦だんじり、右上は西町太鼓台。 左下は、港の海岸通りを練り歩く関町だんじり。男衆は女の長襦袢にお化粧をして花やいだ雰囲気です。 右下は、町の中心部に船形だんじり5台と太鼓台2台が集まって来るところ。 |
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神輿は、午後0時15分の便で沖合いに浮かぶ周囲約10キロの 前島へ巡行のため 関町の乗り場からフェリーに乗船、海上5分の渡御です。 |
次の便で東町の船形だんじりと西町の太鼓台も前島に渡ります。 |
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牛窓神社の末社、綾浦の御霊社では午前9時から少年5人によって伝統の太刀踊が奉納されました。 少年のうち1人は陣笠に裃、うち2人は女装の腰元風、残り2人は奴風の扮装。 左上は「ならし」と呼ばれるはやし。脇にいる保存会員の横笛に合わせて大太鼓、カンコ(小太鼓)、鉦と鼓ではやします。 右上は「太刀踊」保存会員の歌(異国風で意味不明ということです)に合わせて 祭り用具の刀と薙刀で「ヘイ・ヘーイ」と掛け声を出しながら、歌舞伎の立ち回りに似た踊りをします。 由来は神宮皇后をお慰めするために踊ったという説もあり定かではありません。 踊りは拝殿での後、境内でも1回踊り9時半頃終われました。少年達の真摯な演技に引き込まれた30分でした。 岡山藩の池田家の文書にも記載があり、古くから行われていたと説明板にあります。 |
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牛窓神社の末社、紺浦の疫神社では午後1時20分頃から少年2人による「唐子踊」が奉納されました。 朝鮮風の衣裳に唐人笠、保存会員のカンコや横笛の囃子や歌に合わせて独特の踊をします。 歌の文句は日本語も出てきますが、意味の解らない部分が多いということです。2回踊って20分ほどでした。 この踊子達は、後3ヶ所で唐子踊を奉納しますが、地に足をつけないように保存会の人の肩車かだんじりに乗って移動します。 朝鮮との長い交流を通じた生まれた芸能として、朝鮮通信使の番組とか記事に唐子踊の写真がたびたび登場しています。 従って、いつまでも伝承していくのに大きな意義があると思います。 |
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岡山県神社庁サイトの牛窓神社のページはこちらです。 ![]()