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 玉島ライオンズクラブは岡山ライオンズクラブのスポンサーにより昭和31年(1956年)2月9日全国21番目、岡山県内5番目のクラブとして誕生、4月15日にチャーターナイトをした伝統あるクラブであります。
 玉島は江戸時代備中の「へそ(中心)」、いや、瀬戸内の「へそ」として、備中松山藩の外港として、千石船、高瀬舟の往来も賑やかで、来遊する文人墨客も多く、地域文化の中心として、新しい文化を育てる土壌も備わっていました。ここに目を付けられました岡山ライオンズクラブ会長の原 克巳先生により玉島ライオンズクラブが誕生致しました。
 玉島ライオンズクラブは当時玉島文化クラブ会長柚木久太らの絵画グループを軸にお医者さん、造り酒屋さん、財界人等の34人により結成されました。後に倉敷ライオンズクラブ、笠岡ライオンズクラブ、倉敷西ライオンズクラブ、倉敷平成ライオンズクラブ等をスポンサーし今日に至って居ります。
 爾年50有余年に渡り玉島ライオンズクラブでは一般的奉仕事業を多方面に亘って行なって参りましたが、特別奉仕事業として周年を中心とする節目節目に良寛さま並びに地域に関係するものを寄贈して参りました、例えば
10周年事業 円通寺、白華山山頂に「童と良寛」の石像
20周年事業 新倉敷駅玄関に「童と良寛ブロンズ像」
25周年事業 円通寺本堂前に良寛托鉢像
30周年事業 玉島文化センター前に玉島を干拓し今日を築いた水谷勝隆侯の胸像
31代は新倉敷駅構内に千石船(地域活性化のため)
50周年事業 新倉敷駅前に「カリヨン」設置
 また円通寺公園の案内板、植樹等幾つもの奉仕活動を行って参りました、これらの石像・胸像が地域の方々にとり地域の象徴として今やなくてはならない物として定着して居ります。それは玉島商工会議所発行の本の表紙に又倉敷市の観光マップにと数多く使われて居ります事でもお分かり頂けるのではないでしょうか。
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