古い町並みが残る城下町、真庭市勝山の町,
毎年春3月の雛まつりで白壁や連子格子の家並みが
優雅に彩られるかと思えば、秋の10月19.20日は
喧嘩だんじりで男衆の若いエネルギーが中心に
なって町中が熱気に包まれます。
だんじりの行くところ勇ましい「おいさぁ」の掛け声、
鐘や太鼓を打ち鳴らして祭気分を盛り立てています。
江戸時代城下町の祭礼賑しのためだんじり様のものが
登場してから明治の後期に現在の馬車台に屋台を
組む形となり、大正時代にだんじり喧嘩で盛り上がって
きて、現在の若連に受け継がれているとあります。
勝山といえばかっては旭川舟運の最上流地点
高瀬舟や豪快で危険な筏流しの気風が
今に受け継がれているのでしょうか。
ともあれ喧嘩だんじりの迫力と熱気に興奮しました。


19日は例祭の高田神社ほか3社のみこしが繰り出していたようですが、私が訪れた20日は玉雲大権現のみこしが巡幸していました。
写真左上は例祭で参拝者の続く玉雲大権現。



坂を駆け上がる喧嘩だんじり

午後3時ごろ
JR中国勝山駅前の150メートル程の坂を1台ごと順に駆け上がる行事が始まりました。
子供達を乗せ、法被姿の女性も綱を引っ張っていました。写真は上若連(左)と新若連


だ ん じ り 喧 嘩

闘い前に対峙する旦若連(左)と川若連 (JAまにわ前)


だんじり同士の喧嘩(激突すること)の場所は、町並み保存地区に続く通りの4ヶ所に順次移動して
午後6時から10時半まで行います。
1組の時間割は9分間でその間何度も離れては激突を繰り返し、鐘、太鼓、掛け声も益々ボルテージもが上がります。
双方気合十分のところで激突、詰めかけた観衆も一瞬固唾を呑みます。最後は押し合いの力比べで終ります。
勝山の夜は男たちの熱気に包まれ、人々に感動の余韻を残します。
左上は原若連(左)と川若連。右上は旦若連(左)と上若連(トマト銀行前)。