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津山市には格式ある神社が数多くあり夫々の祭礼行事も盛んです。 その内の東の大隈神社、西の高野神社、市中心部の徳守神社の 秋の例祭に合わせて行われる津山まつりが 年中行事となっています。 作州屈指の大社、徳守神社は、江戸初期の優れた神社建築として 岡山県の重要文化財に指定されており、 流石、軒回りの彫刻の飾りも見事で荘厳な佇まいです。 また、神輿は日本三大神輿の一つと言われ、 重さ1トン、交代要員を含め150人の担ぎ手を必要とし、 文化6年(1809)に造られたとあり、200年経た今もなお 巡幸のお役目を果たしています。 徳守神社の御由緒は岡山県神社庁のサイトでご覧ください。 |
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大神輿が氏子地域を巡幸します。神輿の後ろに華麗に飾り付けた各町自慢のだんじり20台が延々と続きます。 屋根にも2.3人乗っているのもありますが飛んだり跳ねたりはしません。 幼児が鈴なりに乗っているのもあり、微笑ましい光景です。 車輪はタイヤ、回転はハンドルで操作しています。坂の曲がり角では、大きく曲がって勢いをつけ皆で綱を引っ張ります。 だんじりには鳳龍臺、翔龍臺、飛龍臺、雙龍龍臺、麒麟臺、紅葉臺などの名前がついています。 町内ごとの法被のデザインも鮮やかに決まっています。下の写真はだんじりの一部です。 |
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市中を回ってきただんじり20台は、奴通りと言われる 大通りに集結します。 ここが交通を遮断しての大ステージに変ります。 道路両側に大観衆がぎっしりと集まっています。 演目は、田町奴行列の男性連の奴踊り、津山情緒保存会の 女性連の踊りや津山鶴丸太皷の和太鼓です。 奴はいかめしいが軽妙な踊り、毛槍のやり取りに拍手喝采、 美女連の一糸乱れぬ美しさ、何れも大人数ながらピチット 決まって洗練され見応えがありました。 最後の和太皷の勇壮活発なバチ捌き、息もつがせぬ 演奏が響き渡り、祭りは最高潮に達します。 その後、集結していただんじりは、走りこみしながら 次々と市中へ流れて行きました。 津山っ子の祭りにかける意気込みを感じた一日でした。 |
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徳守神社の境内に、元津山藩士で徳守神社を 深く信仰していた 赤穂四十七士神崎与五郎の歌碑があります。 海山は中にありとも神垣の 隔てぬ影や秋の夜の月 |
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