16 そぼQ そぼくな質問 10年前にエレクトーン7級をとって中断していました。 2010年6月5日 2010年版へ戻る
そぼQ コラム 童謡・春の小川
そぼQ インフォメーション

≪そぼQ そぼくな質問≫
質問者:街のカカシ さん
10年前にエレクトーン7級をとって中断していました。
5級をとりたいと思い近くの教室に行ったら、そこには5級の先生がいました。
「30過ぎたらどこへ習いに行っても5級は無理だから趣味で楽しめばいい」と言われ、けんかして帰りました。
あざみの会の先生は3級だそうですが、どれくらい習えば5級を取らせてもらえますか?
もし習いに行くとしたら自宅からは30分もかかり遠いので、レッスン時間なんかも配慮してもらえますか?

回答者:そぼQさん
カカシさんのような甘い考えの持ち主じゃと、取得までに相当時間はかかりそうですな。
なんでぇ?じゃとぉ…

まず第一に、グレードは取らせてもらうもんじゃなく自分で取るものです。
1%の才能と99%の努力、継続できる忍耐力、すっぽんのように喰らいついていく探究心があれば合格できるはずです。
7級からあざみノ会で習い始め、1年で5級を取得した人も何人かいらっしゃいます。
おっしゃるとおり先生は3級でレベルアップのお手伝いは惜しみませんが、他力本願じゃと少々難しい気がしますな。

次に「自宅からは30分もかかり…」と言われていますが、30分なんぞで来れるのは庭のうちじゃと思いますよ。
東なら「旧倉敷」、西なら「鴨方」辺りにお住まいなんでしょうな。
都会では1〜2時間かけて通うのは当たり前で、あざみノ会でも30分〜1時間くらいは普通じゃし、
3時間かけて来られている人も何人かいらっしゃいます。
素朴(?)な人ほど5〜10分でも遠いと感じていますし、その気があるなら3時間でも近いはずです。

精神的に田舎者にならないよう、ホントにやる気があるなら教室に連絡してください。
差別無く平等に相談に応じてくれますよ。




≪そぼQ コラム≫   【童謡・春の小川】

昔から童謡は好きな音楽のジャンルであったが、最近の童謡を聞いていると、なつかしさや望郷の念が薄れてきている。
リズムだけに振り回された旋律で、歌っていても情景が全く浮かんでこない。
昔ながらの童謡でさえも同じ事が言える。

「春の小川」を分析してみると、作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一で文部省唱歌とされている。
●尋常小学校唱歌・第四学年用の歌詞は、
『春の小川は さらさら流る。 岸のすみれや れんげの花に、
匂(にお)いめでたく 色うつくしく、 咲けよ咲けよと ささやく如く。』 であった。

●国民学校・3年生用の初等科音楽では、
『春の小川は、さらさら行くよ。 岸のすみれや れんげの花に、
すがたやさしく 色うつくしく、 咲いてゐ(い)るねと ささやきながら。』 と乱暴に歌詞が変えられてしまった。

この行為は 文語体をまだ習っていない…というだけの理由らしいが、
大人でも難しい“教育勅語”の暗唱を子供に強制した時代であり、この程度の歌詞が理解できないはずは無い。
単に教えようとしなかっただけで、教育者の手抜としか考えられない。

●戦後、文部省の著作音楽教科書・3年生の音楽で再度手直しをされ、
『春の小川は さらさら行くよ。 岸のすみれや れんげの花に、
すがたやさしく 色うつくしく、 咲けよ咲けよと ささやきながら。』 と大幅に意味合いが変わってしまった。

林柳波が歌詞の手直しに携わったと聞いたが、
オリジナル歌詞の持つ本来の意味が損なわれ、美しく懐かしい響きを持つ日本語さえも失われてしまった。
口語体に直された時に3番の歌詞は削除されてしまったらしいが、非常にもったいないとさえ思えてしまう。

こういったお粗末な手直しは 作詞者:高野辰之のぼうとくであり、
子供たちの思考回路を閉鎖し、情緒をなくし、考えることの出来ない大人に作り変えてしまったと言えるのではなかろうか。

鳩山さんが退陣し、菅 直人総理大臣が誕生した。
鳩山さんの全てが悪かったわけではなく、良い事もいっぱい行ってきたはずである。
心の曲がったマスコミは、良い事にはふたをして悪い事ばかりを報道する傾向にある。
日本の・人間の良し悪しを見極め、認識できる心を持ち合わせている人こそが真の日本人である。
失ってしまってからでは取り返しはつかない…ということに未だ気づいていないのは恐ろしいことである。