ピッカリ独走会

蒜山高原マラソン全国大会

1.会場
 蒜山高原スポーツ公園

2.種目・スタート時間

種目 スタート時刻 参加料 
ハーフ 男子 高校〜39才,40才以上 10:30 一般:\3,000
小中高:\2,000
(真庭市民は半額)
女子 高校〜39才,40才以上
10km 男子 高校〜39才,40才以上 10:40
女子 高校〜39才,40才以上
5km 男子 高校〜39才,40才以上 09:40
女子 高校〜39才,40才以上
3km 男子 小学1〜3年,小学4〜6年,中学生 10:50
 女子  小学1〜3年,小学4〜6年,中学生 10:52
オープン(入賞対象外)

3.コース
 各種目とも、スポーツ公園をS/Gに蒜山の麓を走る、前半上り後半下りの折り返しコース。

4.
参加賞

 蒜山大根、蒜山おこわ、ジャージー牛乳、タオル。

5.出店等
 地元特産品など。

6.出場種目・記録

出場年 種目 記録 練習量 天候 最高気温 風向風速 招待選手
2022 10km 52分17秒 170km/月 快晴 9/24℃ 微風 谷本観月
2019 Half 1時間43分 208km/月 曇り 12/20℃ 北2m 谷本観月
2018 Half 1時間57分 48km/月 晴れ 5/17℃ 北東3m 高木綾女
2017 10km 45分02秒 144km/月 13/14℃ 微風 小原怜
2016 Half 1時間39分 191km/月 曇り 6/19℃ 微風 山本奈美枝
2002 10km 43分37秒 10km/月 曇り - - 山口衛里
2001 10km 43分10秒 13km/月 晴れ - - -
2000 10km 42分34秒 60km/月 晴れ - - -

7.感想など

<2023年>
 何か嫌なことがあったときや失敗したとき、ネガティブな気持ちのままでいると他のことも上手くいかず、そのまま悪い1日になってしまうことがある。今年の夏の甲子園で優勝した慶應義塾は、9人がマウンドに集まって全員で空を見上げて気持ちを切り替えていた。「意識の矛先を変える」のだという。
 さて蒜山マラソン。今年は10kmと3kmクロカンの2種目。合計1200人と、やや規模を縮小している。新しく整備された自然広場「風のパレットHIRUZEN」がどんなものか気になったが、予定が合わずエントリー見送り。また来年に意識の矛先を変えてみよう。

<2022年>
 
ついに50歳になってしまった。中学に入学したときに陸上部の監督が50歳で、もうお爺さんだと思っていた。ちなみに波平は54歳。私も中学生から見たらあんな感じなのだろう。しかし、年を取っても動ける体は維持したい。1ヶ月後のおかやまマラソンをサブ4で走るための追い込み練習という位置付けで申し込んだが、70kgオーバーの体で9月から急に距離を増やしたら右膝を痛めてしまったため最後尾付近からゆっくりスタート。
 女子は10分遅れでスタート。7km手前で谷本観月さんに抜かれた。ちょっと距離を置いて同じぐらいのペースで走ってみたが、上りでも3分45秒ぐらいのハイペースに付いて行けず数百メートルで断念。その後はのんびりゴール。
 参加賞は蒜山大根とジャージー牛乳とマフラータオル。おこわが無かったのもそうだが、Y希ちゃんはタオルのサイズ変更に不満を訴えていた。確かに、マフラータオルは正直使い道がない。
 今年は新型コロナ対策として種目を10kmと3kmに絞り参加者を例年の半分以下にしての開催だったため、朝は08:30に到着しても直近の野球場に駐車できるほど余裕があったが、帰りは出口でいつも通りの渋滞。高梁SAに寄ったら武富監督と谷本選手に遭遇。お疲れさまでしたと声を掛けたら2人とも最高の笑顔で応えてくれた。
 写真は前日に行った鬼太郎ロードで一番R君をビビらせた妖怪と、全国旅行支援を使って泊まった「さかた」の夕食。そして下蒜山とおぼしき山と参加賞。


<2021年>
 「悪平等」という言葉がある。何でもかんでも平等にしようとすると全体が損してしまうよというもの。
 7月26日にワクチンパスポートの受付が始まったが、用途は海外渡航のみ。接種した人としていない人との間の「機会の不平等」につながるというのがその理由。希望しているのにまだ接種できていない人や体質的に接種できない人もいるだろうが、全国民が完全に平等なんてそもそも無理。特に災害時には、まず救うべき人から救うという考え方も必要。経済的に危機に瀕している人も救わなければいけないのに、日本には過度な配慮が多過ぎる気がする。
 ちなみにコロナ死者数と経済的犠牲について経済学者の仲田泰祐氏は、「アメリカはコロナ死者を1名減らすために1〜2億円の経済的犠牲を払ってきた。日本は約30億円になる見込みです」と言っていた。そこまで経済を犠牲にするべきなのか。
 という訳で、蒜山マラソンも2年連続で中止です。ワクチンパスポートがイベントにも使えてたら開催してたのかなぁ。

<2020年>
 竹内結子の自殺は私にとってもショッキングなニュースだった。今年は木村花、三浦春馬、芦名星など、有名芸能人の自殺が相次いでいる。10〜30代の死因で最も多いのは自殺だというし、このコロナ禍で不安を抱え込んでいる人も多いだろう。
 かつてゲッターズ飯田は
「全部遊びだと思えばいい」と言っていた。仕事も遊び。人間関係も遊び。人生の全ては遊びだと思えば気が楽だし、案外人生を楽しむ極意かもしれない。
 という訳で、私にとってはマラソンも遊び。楽しめなければ意味がない。蒜山マラソンも中止になってしまったが、早く普通に楽しめるようにならないかなぁ。


<2019年>
 3週間後におかやまマラソンを控えているため、練習の意味も込めてハーフにエントリーした。が、1週間前の岡山30Kで右膝蓋軟骨を痛めてしまった。
坂道だらけのこのコースは足への負担が大きいだろう。また、岡山30Kでは平均心拍が169bpmだった。ということは、心拍数がこれを上回るような走り方ではとても42kmをまともに走り切ることはできない。などというと考えから、心拍数を150〜160bpmでキープしてどの程度余裕を持って走れるかを試してみようというのが今回のテーマ。
 5kmまではほぼ上りっぱなしで、ペースは5分00〜30秒/km。心拍数は徐々に上がり、4.5kmからの大きい上りで初めて150bpmを超えた。その後16kmまでは、下りは4分30秒〜5分00秒/kmで心拍数は135〜150bpm、上りは5分00秒〜5分30秒/kmで150〜165bpm。この時点で右膝以外はかなり余裕があったため、ペースを4分30秒/kmに上げてみた。心拍数は徐々に上がり、170bpmを超えたあたりで呼吸が乱れはじめ、ゴール前では180bpmを超えた。平均心拍数は154bpm。ちなみに私の最大心拍数は195bpm程度である。
 結局、それなりに余裕を持ってそれなりのタイムでゴールできたが、いつものような「やり切った感」がない。また心拍数を目安にペースメイクをするという試みの考察結果としては、「坂ばかりであまり参考にならなかった」である。。
 参加賞のおこわと\150で買った豚汁を食べながらLINEを確認すると、なんとY希ちゃんが入賞したとのこと。表彰式では3週間前にドーハで7位入賞した谷本観月が4位のプレゼンターをしている。なんで優勝者じゃないんだ。ただし、男子の部ではY希ちゃんの友達の旦那さんがズバリ4位に入ってこちらはラッキー受賞。
 帰りに蒜山SAに寄って名前だけで注文した「蒜山焼そばセット」が下の写真。焼きそばをおかずに飯を食う習慣がない私には少々辛い昼飯になった。

 ところで、「ドカ走り」という練習方法をご存じだろうか。フルマラソンの練習方法で、2日間で42km以上走るというものらしい。30km以降の筋疲労に近い状態を経験しておくことで、本番で失速するリスクを軽減できるのだという。1日で42km走るのはかなりきついし故障のリスクも高いが、2日に分ければその後の練習にもさほど影響しないだろう。という訳で、明日は21km走ろう。と言いたいところだが、さすがに膝への負担が大きそうだからやめておこうかなー。 
 

<2018年>
 「マッスルメモリー」という言葉がある。一度発達した筋肉は、トレーニングをサボって細くなっても、鍛え直すことで元の状態に戻りやすいというもの。理屈としては、筋繊維の中には筋肉細胞の核があり、トレーニングにより核周囲の筋繊維が発達するとともに核の数も増える。サボると筋繊維は痩せるが核の数は減らず、それが次にトレーニングしたときに周囲の筋繊維を発達させるためらしい。
 そしてこのメモリーはどのくらいの期間持続するのかというと、そこは5ヶ月から数十年まで諸説あるようだ。まあ、ある期間が過ぎると突然無くなるのではなく、おそらく徐々に減っていくのだろうから、
ブランクがある人はできるだけ早めに再開するのが望ましいだろう。
 さて蒜山マラソン。豪雨災害によるブランクは2ヶ月ほど。メモリーは残っているはずだが、いい時の状態に戻せるほどの練習は全くできていない。今年はピッカリ軍団からO橋おじいさんと、○ネマラソンズからM宅さん、Nっちゃん、Y希ちゃんが5kmに参戦。
 最初にスタートするのは5km。1.4km地点で待ってたら、Y希ちゃんが女子の2番目で来てビックリ。でもそこまでの力はある訳ない。ゴール前では案の定かなり遅れて来て、最後はM宅さんに差しくられていた。が、なんとか粘ってNっちゃんとともに人生初の入賞。
 ハーフの整列はすでに始まっている。最後尾からスタート。今年からコースが変わり、これまでは前半上って後半下るというイメージだったのが、今回は大きいのから小さいのまで上ったり下ったりを何度も何度も繰り返すコースになった。ゴール後の快湯館でも「どんだけ上らせれば気が済むんな(笑)」といった声がチラホラ。そして洗い場には恒例の裸の行列ができていた。参加賞も恒例の蒜山大根とジャージー牛乳。
 ちなみに大根の辛さは土の硬さで決まり、硬い土で捻れながら育った大根は表面の窪みが斜めに連なっているから見た目で辛いと分かるらしい。蒜山は火山灰を含んだ柔らかい黒土で、昼夜の寒暖差も手伝って甘い大根ができるとのこと。そして、部位別では先端に近いほど辛いらしい。
 
 後日、M樹ちゃんとこの大会の話をしていると、たった8秒差で私に勝ったという2000年の記録証をLINEで送りつけてきた。中盤からずーーーっとM樹のケツを見せられながら走っていたのを思い出さされた。ゴール前でまくっちゃろうと残り2kmからロングスパートしたのは覚えているが、ラスト200mで追い付いたところでM樹もスパートして逃げ切られたらしい。私の記憶にはM樹のいまいましいケツしか残っていない。しかし18年も寝かせていたネタをここで初めて出すとは、何とも気の長い男だ。

<2017年>
 快湯館駐車場に07:50到着。蒜山ICで下り、マラソンコースを東進して北側から入れば渋滞なし。ここはアスファルトだから雨でも大丈夫。残りスペースは数台分しかなかった。
 今年は10km。N山さん、Y希ちゃんとかなり前めに並ぶ。スタートからほぼ自分のペースで走れて最初の1kmが4分29秒。
 このコースの山場は3.5km付近から始まる長い上り。5%超の坂が500m以上続く。岡南大橋は3%強が約500mだから、これをしっかり上れれば恐るるに足らぬはずと思ったが、ペースは5分45秒まで落ちた。前半の平均ラップは4分39秒。
 折り返して300m程でN山さんとすれ違う。こちらにも気付いて笑顔をくれた。さらに200m程でY希ちゃん。二人とも予想より速い。
 その後は軽快な足取りの女子高生と抜きつ抜かれつ。ゴールのグラウンドは雨でグチョグチョ。シューズも靴下も尻もドロドロになって女子高生の4秒後にゴール。後半の平均ラップは4分21秒。ほぼ下りっぱなしなのに思うほど上げられなかった。上りで足を使ってしまい後半に余力がなかったのが原因。おかやまマラソンでは岡南大橋で足を使い切らないように気を付けよう。
 ゴール手前で二人をお出迎え。N山さんは50分台でゴールして、なんと自身初の入賞!50分切りも目前だ。Y希ちゃんも去年より4分も短縮した。
 表彰されるN山さんを撮影しようと待ち構えていたが、「表彰式は準備が整い次第随時行います」という説明だけで、何時から始まるか分からない。温泉に行くこともできず、危うく濡れたウェアのまま1時間以上待たされるところだった。
 参加賞の蒜山大根、おこわ、ジャージー牛乳は例年通り秀逸。出店の蒜山焼きそばは歯応えのある鶏肉入り。快湯館はゼッケン提示で半額の¥370だが、脱衣所も湯船も洗い場も混雑してて全くゆっくりできない。
 13:00にはハーフのランナーもまばらになったが、南に抜ける道路はまだ大渋滞。北回りならスムーズに帰れた。

<2016年>
 14年振りの参加。今年の夏はおかやまマラソンに備えてけっこう走れた。8時に蒜山振興局の駐車場到着。シャトルバスは待ち時間なしでスポーツ公園へ。荷物預かりはないようだ。体育館にリュックを置いてK延さん、続いてI部さんと合流。二人によると、会場直近の駐車場は7時半頃には満車になり、それ以降は快湯館に誘導されるらしい。
 蒜山のハーフは初めて。高低差グラフを見ると累積標高は150mぐらいか。ぶどうマラソン20kmよりは少し緩い。そのぶどうマラソンで痛めた右膝に不安を抱えたままスタート。
 1km過ぎまでは窮屈。しばらくは上りが続くが蒜山三座を望む景色は素晴らしい。その後6km付近でひとつ目の折り返しがあり、10.5kmの折り返しまでアップダウンを繰り返す。途中、S原元署長を発見。1時間30分切りを命じられたがそれは無理です。でも元気が出た。前半の平均ラップは4分54秒/km。
 後半は来た道をそのまま引き返す。途中で2回コースが交差するため要注意。後半の平均ラップは4分29秒/km。長い下りで心配したが膝は大丈夫そうだ。が、右中足骨が痛い。スピード練習を全くしていなかったのに急に全力で走ったからかな。しかし久し振りに追い込めていい練習になった。
 ゴール後はI部さんの後輩N山さんと○ネ友K田さんとで記念撮影。珍しく写真に華がある。帰りのシャトルバスはコースを横切らないため、さっさと帰ることができて意外と便利。

 

<2002年>
 毎年この大会からマラソンシーズンが始まるため練習不足。来年は夏場もしっかり走りたい、と毎年思う。9km付近でふと気付くと天満屋の武富監督が目の前を走っていた。

<2001年>
 夏場にほとんど走っていなかったため体が重い。

<2000年>
 記念すべき初マラソン大会。10kmに出場。会場はお祭りの様な雰囲気で景色も良く、楽しい気分でスタートに付いた。最初の直線は平坦だが、その後は折り返しまで上りが続く。特に4km前後の上りはきつい。後半は下りが続いたせいか膝を痛めてしまった。普段あまり走っていない人は無理しない方がいいかも。参加賞の蒜山おこわはかなり美味しい。

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