第18号
2006.12.14発行
©ザ・玉島!!
 

今回のコラムで使用した写真は、『玉島高校100周年記念誌 しらはな』より引用したものです。なお今回の転載につきましては、記念誌編者に報告した上で使用しております。
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玉島と教育(1)

〜県立玉島高等学校〜


 岡山県は、教育県といわれ青少年の教育に力を入れているとされている。倉敷市の西隣、浅口市鴨方の西山拙齋による欽塾は名高い。
 その岡山県にある玉島には、玉島内唯一の普通科高校、県立玉島高等学校が設立されている。平成16年には、創立100周年を迎え、玉島文化センターにて、生徒、関係者を中心に盛大に記念式典が挙行された。

 玉高の誕生は、1904年(明治37年)4月25日である。本町の玉島高等小学校に付設する形で、玉島町立玉島女学校が開校。これは、地元の熱い設立要請を受けての開校であった。当時、県内には、岡山高等女学校(現・岡山操山高校)があり、1899(明治32年)高等女学校令が公布された事による設立気運の高まりであった。

   1906年、玉島小学校(前身・玉島高等小学校)は児童数が増え収容が困難なことから、この折に正式に高等女学校として認定されたことになる。なおこの頃の入学資格は、小学校卒業で、入学試験というものは行われていない。学科は、修業年限本科4年、技芸専修科3年、裁縫専攻科が2年というものである。この時1906年の校舎は【五軒屋(玉島2丁目)】

 わずか1年という期間で、校舎の狭さを理由に1907年、円乗院へ移る事になった。これは正式な校舎ではなく仮の校舎であったが、これは、移転前に新築の議論が高まったものの、義務教育である小学校さえも設備不十分である為、県当局から玉島女学校新築許可が下りなかったためである。
 1908年、なおも校舎狭小を強いられることになる。校舎は西山の三角寺(柏島)に移る事になり、あまりにも狭いために、1909年には参道を隔てた隣の本覚寺も借りることになる。ここには、裁縫専攻科の仮校舎がおかれた。

 改正高等女学校令が公布された1911年には、ついに本校も『玉島町立玉島実科高等女学校』となり、この時三角寺から、玉島小学校の跡地である空き校舎に移る事になった。(現在の玉島2丁目) 柏島と玉島2丁目までの間にある里見川には、この頃まだ大正橋は架橋されておらず、引越しは大変な作業であったという。ちなみに大正橋が架橋されたのは、1915年大正4年であった。

 この大正橋が架けられた翌年、1916年には、実科が併置された。
 その又翌年からは、入学試験による入学制度が設けられ、それまでの編入制度(・・・1906年頃参照)は撤廃された。この年(1917年)は、文人徳富蘆花がここ玉島の地、特に養父が鼻に訪れた年で、また自動車が初めて玉島を走った年もこの年で、玉高の歴史の古さを感じさせる。(・・・徳富蘆花と玉島については、『たまたま00006』参照)
 そして、大正12年(1923年)には、阿賀崎の新築校舎へ移る事になった。ここは、現在も県立玉島高等学校が置かれる地である。実科は廃止され、本科4年・補習科2年のみとなり、定員も翌年に増員されるなど益々発展していった。
 大正3年には、玉島商業学校が円通寺の下に海岸に沿って創設されることになる。
 現在と同じように、玉高が県営に移管されたのは、昭和3年のことであった。この年には、創立25年記念行事も執り行われた。

   なお戦時中に、本校も様々な変革が見られるが、当コラムでは、割愛したい。

 1948年(昭和23年)には、新制高校となるが、この時、玉島商業高校も同じ新制高校となったため、双方とも『玉島高等学校』という名称となってしまう問題が起きた。どちらが『第一』を名乗るかで、日々検討が重ねられたが、結局本校が『第一』と名乗ることで落ち着いた。しかし翌年には、統合されてしまう。つまり、玉島商業高校は、商業科という形をとったことになる。家庭科が廃止されたのもこの翌年。
 これをきっかけとしてか、1950年(昭和25年)には、それまで女学校であった本校を、男女共学とすることになる。現在の『青き野に・・・』で始る校歌が作られたのは、統合された翌年1951年である。

 その後、1958年(昭和33年)には、普通科と、商業科が分離独立され、『岡山県立玉島高等学校』に普通科、『岡山県立玉島商業高等学校』に商業科が置かれ、現在の両校を作ることになる。
 
 進学校としての色合いを強めていった玉高は、能力別くらす編成も行われた時期もあり、1970年代後半には、生徒増加によるマンモス校へと成長した時期もあった。
 平成11年には、普通科と併設して理数科が設置され、課題研究やセミナー合宿といったカリキュラムが組まれている。

 現在でも多くの生徒が、阿賀崎の地で、学んでいる。      
 

参考文献:『玉島高校創立100周年記念誌 しらはな』
 『浅口郡誌』
 ウィキペディア

  


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