玉島の観光
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玉島は、倉敷市の南西部に位置するまちです。
古代より、吉備の国や備中の玄関口として栄えてきました。玉島は昔、島々を美しく散りばめた海でした。沖合いの海を玉の浦と呼び、江戸時代より備中松山藩主水谷公によって海は次々と埋め立てられ、港をつくり千石船の港まちとして栄えました。
現在でも当時の面影を残す蔵や常夜灯が多く残っています。
そんなまち、玉島を紹介して行きます・・・。
円通寺〜Entsuji Temple〜
玉島白華山の上にある円通寺は、良寛和尚が18年間修行した地として広く全国へ知られています。
境内には本道・良寛堂などがあります。
また、周辺には多くの文豪や歌人が残した詩碑や歌碑が円通寺の自然岩に刻まれています。
この周辺は県指定名勝円通寺公園になっており、公園からの瀬戸内海の景観は素晴らしいものです。

源平水島古戦場跡〜Genpei Old battle Field〜
玉島の周辺がまだ島を連ねていたころ。現在の玉島大橋をはさんで乙島に源氏、柏島には平家が陣を構え、玉島港を舞台に壮絶な戦いを演じました。
この戦いの途中には大きな日食が起こり、山奥での育ちであった源氏側はこの怪奇現象に恐れをなしました。その一方、平家側はこの現象が起こることを知っていたため、この隙をねらって源氏側を大きく攻め、勝利したと伝えられています。
平家最後の勝ち戦としても知られています。
玉島大橋の架橋のたもとには、古戦場であったことを示す碑が建てられています。

旧柚木亭住宅(西爽亭)〜Yunoki House〜
かつては備中松山藩主に仕えた庄屋もつとめた家。
幕府の時代に建築といわれ、建築当時のまま保存されています。
また、西爽亭内の一部屋には、自刀して幕末の戦火から玉島を救った熊田 恰(あたか)の血しぶきの跡が天井に残っています。

新町通り(玉島町並み保存地区)
玉島を中心に位置する羽黒神社から西に延びる通りで、高瀬通しで繁栄した頃をしのばせる高瀬通しや蔵が倉敷美観地区のように立ち並んでいます。「玉美人記念館」等の文化施設もあります。
この界隈を始めとする玉島中心部は1995年に町並み保存地区に県から指定されています。

旧高瀬通し
高瀬通しは新田の灌漑用水と、高瀬船による運輸を目的に、備中松山藩主・水谷勝隆、勝宗父子によって作られた運河で、船種町の一の口水門から高梁川の流れを導き、長尾・爪崎を経て、玉島港に通じていました。川幅3.7m全長約9.1kmで、二つの水門の開閉によって水深を調節し船を通す仕組みで、パナマ運河より240年も前に作られた閘門(こうもん)式運河です。ハローワーク玉島前の川岸には高瀬舟の往来した頃に植樹された樹齢三百余年のハゼの木がいくつか残っています。

岩谷展望台(南浦海岸)
沿美から岩谷・南浦にかけては、長汀曲浦と呼ばれる美しい海岸線が続きます。海に突き出した岬(矢崎山・諏訪山・幌崎など)には、松林が残り、文字通り白砂青松の景勝が楽しめます。昭和63年には黒崎地区の住民運動がもとで、倉敷地方振興局によって岩谷展望台が海岸線に建設されました。また南浦は、備中杜氏発祥の地といわれ、醸造工場が立ち並び、古い酒造も多く残っており、ワインやリキュールの工場もあります。南浦海岸では岡山県により「ふるさと海岸モデル事業」による整備が予定されています。
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